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女子会板/2
4
:
SAKURA
:2012/10/31(水) 22:51:51 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…・・・ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
http://jbbs.livedoor.jp/study/11346/
#10 【 女子会 板(No1) 】
>>1951
>>1952
>>1954
>>1955
>>1956
>>1957
>>1973
>>1994
>>1995
【女子会 板】投稿の続きです・…。
■ 第二章 『 アッパ−・ミドル・クラスのト−ス家へ嫁に入る 』…
To England
――――― 豆と卵の日々 ―――――
加藤さんに別れを告げ、クリス・ト−マスを追いかけるようにロンドンに渡ったのは
1975年終わろうというとき。
この年の秋、ミカ・バンドは『Hot ! Menu』を引っさげて、念願のロキシ―・ミュ
―ジックとの全英ツア−に繰り出した。すでに持ち上がっていた、加藤さんとの離婚問題
も、ツア−中は一時棚上げにして。その甲斐があって(?)、ツア−はイギリスのミュ−ジ
ックシ−ンに大反響を巻きおこし、成功をおさめることができたのだが、このツァ−が、
ミカ・バンドの最後の仕事になってしまった。
ツァ−が終わるころ、私は加藤さんにこう言った。「もうすぐ、ツァ−も終わるから、
約束どおり離婚ね」って。そして、ツァ−最後の日、私はホテルには戻らず、クリスの家
に走ったのだ。部屋で2人向き合うと、クリスは私に「ミカはドノバンと別れる決心をし
たのかい?」と念を押すようにたずねた。私がうなずくのを見ると、なんとクリスは、ド
アからドアへ走ったかと思うと、こんどは窓という窓を回り、家の鍵をすべてロックし
てしまったのだ。そして、クルリとふりかえると言った。「キミはもう、この家から帰る
必要はない!」それっきり、私は加藤さんのもとへ帰らなかった。
そうこうするうち、他のメンバ−やマネ−ジャ−は日本に戻り、クリスと一緒に、
ファンタスティックなサウンドで人気を博した、ジョン・ケ−ルの北欧ツァ−にくっつい
て行ったという大胆さ。そこへ、当時ミカ・バンド担当のプロデュ−サ−だった野田和長
さんから電話が入り、「離婚するんだったら、一度日本に帰ってこなくちゃダメだ」と説
得され、離婚手続きのために一時帰国したのだった。
帰国したその日のうちに加藤さんに合い、「クリスと暮らすの?」と聞かれた私は、「ウ
ン、そのつもり」とアッケラカンと答えた。「それでミカは幸せなの?」「モチロン。すご
―くハッピ−!!」とまあ、ずいぶん残酷なことを平気でいってのけたのだ。私も若かった
最後まで、実にやさしい人だった。でも、そんな加藤さんの「男のやさしさ」を心底理解
することができない未熟な私、だったと思う。
離婚のことを両親に報告したのは、書類にサインをしたあと、それも電話でだった。電
話にでた母は、私が離婚のことを告げると、「あなたはそんな大切なことをどうして黙っ
ていたの!」それはたいへんな剣幕。ぎゃんぎゃんという感じで言うものだから、私
は受話器を耳から遠く離して嵐が過ぎ去るのを待ち、最後に「じゃあ、明日帰るから」と
だけ言って、電話を切った。京都の家に帰ってからも、母が何かとウルサイので、それか
ら一週間もしないうちに、また、日本を飛び出したのだった。羽田まで送ってくれた加藤
さんに私は「バイバイ」と手をふって別れた。
(つづく)
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