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「本流対策室/4」

199初心者:2012/10/09(火) 10:00:25 ID:qBrfhCPc
さくらちゃんへ

ようやくまともな世界にもどってこれたとの感覚であります。

>科学の世界では、
たとえば、物質が実在すると考えるのか、実在しないとするのかは、それこそ重大な認識の違いで、厳密な研究が必要だと思うのです。

そうですね、ひも理論でいわれている「ひも」じたい、物質なのかというと、とても
そうとはおもえないものがありますね。

「ひも」というのは大変に小さなもので、たとえば1個の原子が銀河系の大きさに
見えるくらいに拡大して、それでようやく「ひも」のようものが見えてくるといった
ほどの小ささであるようです。

ところがこの小さくて細い「ひも」は驚異的な強度を持っているようなのですね。
これはおかしなたとえなのですが、たとえば、観測可能な宇宙の全物質を1本の
「ひも」にぶらさげたとしても、「ひも」は切れないといわれているようなのですね。

宇宙の全物質の質量がどれほどのものであるのかはわかりませんが、これを
すべてぶらさげたとしても切れないとすれば、「ひも」をたんなる物質と捉える
ことはできそうもないということになりますよね(「ぶらさげる」というのは
あくまでも比喩的表現でありますから、あまり深くは考えないでください)。

しかもこれが事実であるとすれば、「ひもは完全なのか、不完全なのか」との議論
をさえ呼び起こすことになるでしょう。「物質とはなにか」。「完全とはなにか」。
「ひも」は、その定義の問題をさえ引き起こしかねない存在であるという気が
いたします。

>しかし、信仰の世界では、
物質があり…と拘り、執着することと同じほどに、
物質なし…にさえも囚われ過ぎない心が、大切なこと場合があると思うのです。
これは、不思議な世界ですね…。

そうですね。「物質あり」にしても「なし」にしても、深層の心理は似たようなもので
あるのかもしれませんね。

>だから、根本でなにを大切に考えるか、
(わたしは…結局は、人間の中の神…神性であるとかんじていますが、)
を見失うことがなければ、
二元論でも、唯物論にも、他宗教でさえ…いちいち引っかかり、恐れる必要などないし、
立ち位置が違うから話せない、などということもない、
こちら側だけ正義で、お前はケルビムの焔を渡れないものだと、
思う必要もないとおもっています。

ひとつの真理観にガチガチにかたまってしまうとどうなるか、よい手本を見せて
いただいておりますよね。もっと柔軟にいきましょう。


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