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「本流対策室/4」

1362志恩:2012/12/06(木) 06:18:19 ID:.QY5jUA6
本流宣言掲示板より、「大崎華子(はなこ)さん」の名が記されてますので、一部抜粋。

>>【青年会の黎明期・澎湃とした時代 】(6400)

日時:2012年01月28日 (土) 21時10分
名前:山ちゃん1952

青年会の活動を長く携わり、現在の青年会を見るときに歴史のなき現在の青年会に情けなさと退勢した現教団の目標指針の喪失を憂れうる。

内憂外患に何も出来ない覇気のない現在の青年会、歴史も憲法も『古事記』『日本書記』も語らず、『万葉集』を語らず。
「天皇陵」の参拝も行わない。そんな青年会に何が魅力あろうか。

憲法を語り、明治維新を語り、近代民主主義を語り、神社で早朝神想観を実施した。私達緒先輩。
駅前でタスキを掛け、生長の家の素晴らしさを語った青年会。
日の丸行進を実施して、街頭を日の丸で埋め尽くした諸先輩。

一週間寝泊りして見真会を開催した緒先輩。
我等の時代は如何に活動をしたのか。
荒廃した戦後の日本にいち早く敢然と起ち上がったのが我ら生長の家青年会であった。

黎明期の時代・澎湃とした時代(大阪を中心に書きます)
昭和21年7月。谷口雅春先生の御意志を受継ぐ為に起ち上がったのが川島滋と伊藤公雄を中心としたメンバ−が「生長の家学徒連盟」
(M・S・S・A(メンタルサイタル・サイエンス・スチュ−デント・アソシエ−ション)であった。

昭和22年には彼らは月2回の研究会を開催していくまでになったのであった。
昭和22年8月17日には駅前伝道を前に午前中に例会を開催、80余名の参加者があった。この時代には創価学会を遥かに凌駕した会員数であり。

頼もしい青年会は戦後の曙に燦然と輝く実績を残したのである。その後上本町六丁目の交差点にて男子10名、女子9名で伝道した。

この当時は進駐軍にたむろする若い女性をパンパンやパン助と揶揄し、そうした日本人の若者に颯爽とした青年会がいた。

これが大阪青年会であり、「大阪青年会」の幟を建て、生長の家の素晴らしさを街頭で語ったのである。
『生長する青年』昭和22年10月号に当時の状況が記載されている。

参加者は【大崎華子】・川島滋・伊藤公雄・南川次郎・司忠司・河合・栗原保介・栗原久子その他である。
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『生長する青年』の創刊(22年9月)
◎同誌を中心とする青年組織を「全日本生長の家青年会」とする旨を発表
◎同誌11月号に谷口雅春先生「生長の家青年会の歌」を発表
◎同誌12月号に同歌譜を発表(昭和22年9月16日夜) <<


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