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「本流対策室/4」
1354
:
志恩
:2012/12/06(木) 01:16:51 ID:.QY5jUA6
〜平岡初枝先生と 大崎華子さんのこと、etc 〜
トキ様もここの掲示板の、他板で、ご紹介下さってますが、
光明掲示板に、童子様が、
大阪の「阿倍野道場ものがたり」を書いて下さっていますので、
阿倍野道場の幹事長・大崎犬生氏と大崎小松氏ご夫妻の一人娘、私の知っている
「大崎華子さん」の
生い立ちが、おぼろげながら、分らせて頂けて,有り難く存じております。
(大崎華子さんは、若い時、大阪青年会で大活躍されてたことは、以前に、山ちゃん1952様が
書かれた記事で、教えて頂いております。)
私が本部に奉職していた時、原宿本部会館の真ん前に、質素なアパ-トが建っていました。
そのアパートの
2階の6畳、1間の方に、平岡初枝先生が、1階の6畳、1間の方に、堀静先生が、各々単身で間借りされておられました。
その頃、童子様がご紹介下さいました大阪、阿倍野道場の幹事長・大崎小松氏の一人娘の「大崎華子さん」が、ちょくちょく
平岡先生のアパートに遊びにいらしていたのです。
平岡先生は寺田繁三先生の勧めで、原宿本部へ白鳩会全国講師として、奉職されてましたが、
大崎華子さんが、上京されたのは、華子さんは、ものすごく平岡先生ファンだったので、平岡先生を追って
上京されたのだと、華子さんが当時、私に上京した理由を教えて下さいました。
その頃、華子さんは、赤坂の普及教会に就職されてました。
私はといえば、本部食堂で食事を作っておられた本部職員の福田愛さんに協力する形で、平岡先生の夕食をアルミのお盆に乗せて、
毎夕のように、平岡先生のアパートのお部屋まで運ぶという愛行をさせて頂いておりましたので、時々いらしていた大崎華子さんとも
お話する機会に恵まれました。華子さんは、私より20歳ほど年上のお方だったと思います。とても雄弁で姉御肌の明朗な女性でした。
平岡先生は、阿倍野道場、直属の本部講師・寺田繁三先生のご指導を受けられて持病だった「脊椎カリエス」という難病が、
神癒により完治してしまったことは、私も平岡先生の口から直にお聞きしたことがございます。
そして平岡先生は、本部ご在職中も、本部を退職後、富山市で地方講師として、光明化運動に挺身されてた時も、亡くなるまで、
「脊椎カリエス」が
再発されたことは、ありませんでした。
本当に、生長の家のみ教えのお陰で、神事が起こり、すっかり病が、完治されておられたのでした。 つづく
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