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「本流対策室/4」

1261さくら:2012/12/02(日) 08:35:48 ID:e8ieIrPA
ハマナス様が謹写してくださった
「君民一体の生命把握の自覚」において、

「≪「天に仰ぎ、地を見下ろせば、天と地とは感覚的には別個のものであるのである。しかし
その根元を「一」として捉え、その「一」に中心を見出して、それに万法の帰一することを捉えたのが日本民族であるのである。

≪「成り」は「鳴り」であり、コトバであり「生命の流動」である。「高天原」に遍在してして「鳴」りわたるコトバはそのまま「生命の流動」であり、それがそのまま「天之御中主神」(あめのみなかぬしのかみ)であるのである。高天原と云う容器(いれもの)の中に天之御中主神が発生したと云うのではなくして、高天原そのままが「中」(みなか)の顕現であるのである。「中心」と「周辺」とを分割するような思想は、日本的なものでない。

 天皇と臣民とを分割するような思想は、日本的なものでない。日本人は天皇に於いて自分の生命の本源の象徴を見出し、天皇はみづからの手身(たみ)であるところの国民を見出したのである。頭首は手身なくして生きないし手身は投手なくして生きない。君臣一体の生命把握が、日本民族の最初の中枢的自覚であったのである。≫」

と説かれていて、

「よく卵の黄身だ、白身だとか、中心部分と周辺(周縁)部分だとか、分けて言われますが、本当は、「中」(みなか)においてすべては「一つ」なのだ! 常に、そこに立って行ずるのが、生長の家の生き方であり、日本の心を生きることである。そして、その生き方こそが世界平和の根本になるのである。これをはずして真の世界平和はあり得ない! と、私は思いました。」

と復興Gさまがまとめてくださり、その通りであるとおもいました。
その自覚に帰ることが、「中」(みなか)においてすべては「一つ」ということが現れてくるのではないかと感じさせていただきました。


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