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「本流対策室/4」

1260さくら:2012/12/02(日) 08:34:48 ID:e8ieIrPA
復興G様

合掌ありがとうございます。
いつも的確なご指導と、学びの機会を提供してくださり、感謝いたします。
40年来のご心友を見送られたということで、心静かにおもわれたいこともあることとおもいます・・お時間あるときでかまいません。
私も、ご教示願いたいことがあり、どうようにおもったらよいか、まだ心が迷うことがあります。

復興G様のご文章を拝読し、日本国についての深い真理を授かっている宗教においての分裂は、日本の国に転写するような因になることもあるのか、すこし不安にもなります。
業をこえるみ教えが生長の家の教えですが・すべてこの現象界に現れることは、業の法則によるもので、例外がないとおもわれます。
もちろん、ひとつのことに起因して言い当てることは危険ですが、業の悪循環を断ち切ることが大切であるとおもっています。

・・すこし予断ですが、このたびの選挙でもたくさんのそれぞれの口当たりのいい政策を掲げて乱立しましたが、
国として護るべき中心の把握がなく、「平和」「安全」「自然」といっても、やはり実現性のないもので、そういう政党には日本を任せたくない気持ちになります。
鎮護国家なくして世界平和はありえない、と復興Gさまも言われていました通りだと感じました。

生長の家のみ教えの把握について、生長の家の組織の行く末について、
「人それぞれであるからいいはないか」「わかる人にはわかる」「棲み分けでいいではないか」
またあえて「真の生長の家」とか「昔の教えいまの教え」など・・
いわれる方もおられますが、
わたしは、生長の家は、「人それぞれ」「わかる人」「真の生長の家」だけ救われる教えではないのではないかとおもっていました。
例外なく、みな神の子として救われ済みのみ教えであり、「結びの働きを果たす」宗教であるはずです。
ですから「分派」「本流」「ひとそれぞれ」なのは、周辺の運動の部分だったり、個性であったりするかもしれませんが、やはり、教えの部分でひとつになっているのが、生長の家のみ教えに現れたみこころであり、本来ひとつのものだとおもうのですが・
本流こそ、雅春先生のみ教えを護るところならば、ひとつに集約するはずなのだとおもうのですが、「ひとそれぞれ」などいうのが、どういうことなのか、わたしにはまだわからないでいます。


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