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「本流対策室/4」
1203
:
復興G
:2012/11/28(水) 19:35:58 ID:vWpLkCzM
<つづき>
『幸福の原理』(新選谷口雅春法話集③)より
青春期の恋愛に於いて吾等は「本来の一」を自覚し始めると言いましたが、既に吾々は子供の時には親子の愛というものによって肉体は差別界に別個の姿を有(も)っておりながらも本来一体だということを自覚しておりましたけれども、だんだん我儘になり、愛に狎(な)れて来まして、可愛がって貰うのは当り前のように狎れ切って、世話になる事では自他一体だけれども、親孝行という自他一体の行事は忘れてしまっている偏頗(へんぱ)な無自覚な自他一体状態だったのであります。ところが青春期になりますと、男女の愛というものが出て参りまして、深刻に愛ということを考えるようになる。そして肉体は本来分れていて、他人のように観えるのに、何故こんなに惹きつける不思議なる力があるのだろうかと考えずにはおられなくなって来るのであります。
それは自他一体感の目覚めであります。親子の愛は未だ目覚めざる自他一体感であると致しますと、恋愛は目覚め初めんとする自他一体感であります。どうしてこう相手に惹き着けられるのかハッキリはわからない。そこに恋愛の神秘性があるとも謂えます。親子の愛では現實的に、子は親の肉体細胞から出たという事實があるが、恋愛にはそういう物質的根拠はない。しかもその牽引力は親を捨てても走らすほどの力がある。もしそれを邪魔するものがあったら、その邪魔ものをどんなにしてでもかなぐり捨ててそれを成就しないでは置かぬ。否、それが成就しなかったら自殺したり、心中したりして個体のいのちを殺してまでもそれを成就しようとする。個体のいのちを殺してでも「二つ」が「一つ」になろうといういのちの衝動、これこそは肉を超えた眼に見えぬいのちの存在の最初の目覚めというべきであります。
<以上>
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