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「本流対策室/4」
1154
:
復興G
:2012/11/27(火) 10:52:04 ID:vWpLkCzM
ありがとうございます。
谷口雅春先生の愛国の情は、実に、この「中(みなか)」の御自覚がら出たものなのでした。
日本と他国とを分けて日本だけを愛するというようなちっぽけな愛国心ではなかった。日本の心こそ世界を生かし、「み心の天に成る神の国」なる世界平和を地上にもたらすものだ、という確信からほとばしる愛国の情だったのだ、と私は信じます。
この先生の御心を体して生きる、行ずる、伝道するのが生長の家の愛行であり、常にここをはずしてはならないと思います。この「中(みなか)」を生きることが、「今」を生きる――「久遠の今」を生きることである。
榎本恵吾講師(故人)は、『光のある内に』という著書に、次のように書かれていました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
天地(あめつち)の初発(はじめ)に立ちて (榎本恵吾)
――人類光明化運動の楽的展開論――
(前略)
終 曲
この広大無辺なる宇宙の一点に立って、真の一足を投じてあやまたざる、真の自信ある生活をおくることの出来る者は誰か。それは神の子である。神の子とは「個即全」「今即久遠」をいのちとして生きているものに他ならない。
創造とは何か。創造とは「久遠の今」の一点が進むことである。これが、尊師の教え給う「生命の純粋持続」ということである。この生命を「光」という。このほかに「光」はなく、創造はない。創造とはそこに価値を産むことである。価値があるとは実在があるということである。実在があるということは神があるということである。神は絶対であり、絶対には分裂がない。分裂がないのが「久遠の今」なのである。今と久遠が分裂せず、自己と世界が分裂せず、目的と手段とが分裂せず、今此処に自己と世界が一点に生きて完全であり、しかも無限に創造がなされてゆく。ここに真の「光」の創造的進軍がある。
「生長の家人類光明化運動にいのちをかける」とは如何なることか。この「今」にいのちを懸けることである。「今」の一点には全宇宙即「生長の家」があるのである。ここにいのちを懸ける道が開かれているのである。それは全宇宙にいのちを懸けることである。
「御教えの本(もと)に還れ」とよく言われるのであるが、実に、生長の家の御教えの本に還り、尊師のいのちに帰るとはこの「久遠の今」に還ることにほかならない。この「久遠の今」の中に日本があり、天照大御神がいまし、天皇がおわしまし、生長の家があり、尊師がおわしますのである。
尊師がこの世に、『生長の家』誌を出される決心をされたときに聴かれた声は、「今、起て!」という大いなる天徠の声であった。尊師は万物発生の枢機を握る一点において「吾れ」と「今」と「此処」とは一つであるとお説きになられる。即ち、「今」とは「尊師」のことなのである。「今、起て!」のことばは万物発生の枢機を握る一点において「吾れ」と「今」と「此処」とが実相全機の現成として響いたのである。そして、実相の世界に於いては永遠に常に「今、起て!」というコトバが全機の働きとして鳴り響いているのである。常に、実相の大地に降り立ち、尊師のいのちに参ずるものはこの声を聴くことが出来るであろう。そこにこそ運動の中において一人一人の一挙手一投足に本当の尊師のいのちへの回帰があり、帰命がある。此処においてはじめて本当の意味における尊師のいのち――生長の家人類光明化運動への情熱が吾々各個の中に生まれるのである。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
と。
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