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「本流対策室/4」
1105
:
志恩
:2012/11/25(日) 11:35:48 ID:.QY5jUA6
『新版 叡智の断片』を謹写して下さった復興G様の過去のご投稿文
>>web誌友会 板
269:復興G 2012/05/28(月) 15:51:38I
『新版 叡智の断片』に、谷口雅春先生は次のように書かれています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
○
私を哲学者だと思っている人があるが、私は哲学者ではない。
私は神の啓示を、取りついだものである。
そして神の啓示にしたがって生きんことを希い、また努力しつつある者である。私は聖者ではなく、聖者たらんと修行しつつあるものである。
これは『生命の實相』第一巻に、「生長の家と私」という項で書いた通りである。
今もその通りで私も時には躓くし、間違うこともある。
好い体験ばかり発表したら信用を博すること位は、よくよく私も知っているけれども、
正直に失敗のことも発表するのは、私自身の失敗を隠して神に祭り上げられたくないからである。
○
失敗と見えることが、実は尚一層良いものが出て来る前提であることがある。
○
哲学的の思索は間違うことがある。
唯物論の次には唯心論が現れる。思索というものはより多く頭脳的なものであり、論理的なものである。
それだけ人間には合理的に見えるけれども、哲学というものは、時代を超えることが出来ない。合理は時代に即して合理だと思われるのである。
時代に即しない合理は人から不合理だと思われる。或る時代に合理的だと思われたものは、次の時代には不合理だと思われる。
人間の作った合理などは決して当てにならないものである。
○
終戦前とその後とで、説き方が変って来なけれぼならないのはそれは現象的合理の方面であって「真理」そのものは終戦前も後も同じことである。
現象を取り扱った言論や人間の頭脳的思索は、やがて時代に適合しなくなるものが出来るのは当然である。
しかし神の啓示によるところの真理は超時代的なものである。雨がふるときに傘をさせと教えても、天気になったら、傘をさすなと教えるのは当然である。
現象を取り扱うときには、時代を超えることは出来ないし、環境を超えることは出来ない。
時処相応のことを説くのである。時代に即して変りながら終始一貫した真理を説くのが本当である。
○
「あの時は、傘をさせと教え、今は傘をさすなと教えるのは、前後矛盾である。先生は矛盾している」と言うのは間違いである。(『新版 叡智の断片』198〜200頁より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
谷口雅春先生が、戦前・戦中と戦後で、「日本の実相」「日本の世界的使命」についての説き方においては時処相応のことを説かれたということはあり、
それが表面だけ見れば「戦前の考えを改められた」と見えることがあるようでも、神の啓示による終始一貫した中心真理を説かれたことにおいて、
いささかの変わりもなかったことを、しっかり確認しなければならない。それが「法燈継承」の中心的な、極めて重要な課題であると、私は思っています。
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