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「本流対策室/4」
1084
:
復興G
:2012/11/22(木) 11:37:48 ID:vWpLkCzM
>>1083
のつづき
≪生長の家教団 戦後60年の運動 その光と影(7)≫
そして昭和38年10月には宇治別格本山に「精霊招魂神社」を建立して英霊達を祀られることになるのですが、その精霊招魂神社落慶の年8月15日、和歌山県の寺森仁一氏が、有田市に戦没者無縁寺を建てているのがあることを知り、未明にそこへ行って祈りを捧げたときの体験が、『生長の家』誌昭和38年11月号に載っています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
無縁塔に捧げる平和の祈り
昭和三十八年八月十五日未明、突然私は寝床を脱けだして唯一人聖経『甘露の法雨』と「大東亜戦争無縁戦没者英霊に捧ぐる辞」を持って、無縁寺に登って行きました。夜露は足をしっとりとぬらします。あたりはまだほの暗く、東の空はかすかに白み、山には人影一つなく、静寂そのものです。
香華をくゆらし正坐合掌瞑目――時刻は正に午前五時十分――。三千有余柱の無縁の英霊よ眠りませ……。唯一人霊前に額ずいて、神想観のできる喜びを天地万霊に感謝しつつ、この声全宇宙に響けと、音声(おんじょう)朗々と招神歌を唱え全く神人合一の神想観に入った。終って谷口雅春先生がお示し下さった「大東亜戦争無縁戦没者英霊に捧ぐる辞」を、本当に全身全霊をもって読誦、英霊に感謝を捧げました。
「キリストが一身を献げて人類の身代りとなりしがごとく、卿等は一命を捧げて、大東亜諸民族およびアフリカ諸民族の魂の自覚の進歩のために貢献せるなり」
と読んで来た時、雲流れる大空の果てに、或いは炎熱の南太平洋の怒濤に、或いは酷熱のジャングルに、散華された幾多の英霊達よ、さぞ辛かったろう、口惜しかったろうと涙がとめどなく流れてきました。その悲惨な最期を想起し本当に心の底から慰めてやりたい気持で読誦を続けました。
「讃うべきかな卿等の犠牲的精神よ 宇宙の大神今卿等の功績を称讃し霊界において一層高き位に進められんとす」まで読んできた時には、万感胸に迫り、ワァッとばかり大声をあげて泣いてしまいました。朗々の声も声にならず、ただ滂沱(ぼうだ)の涙が膝をぬらすばかり。
深い深い世界平和の祈りの内に聖経『甘露の法雨』を誦(あ)げ、大調和(みすまる)の歌を終って二拍手の後、目をあけてふと眼前を見ると、無縁塔が黄金色に輝き後光が射しています。不思議、と振返れば、はるかに東の山上から太陽が昇り始め、金色の光芒燦然(こうぼうさんぜん)と輝くその神々しさ、思わず合掌した時、パッと頭に閃くものがありました。
昔神武御東征の折、賊軍長髄彦(ながすねひこ)が押し寄せて皇軍が危くなった時、いずこからともなく金の鵄(とび)が飛び来り、神武天皇の御弓の筈(はず)に止り金色燦然(こんじきさんぜん)たる後光に賊軍は退散したという神話から、軍人の最高栄誉である金鵄(きんし)勲章が制定されたが、光は“真理”であり退散した賊は”迷い“である。今こそ“真理の御言葉”によって、今まで迷っていた三千有余の無縁の英霊は、高き霊界にのぼられて我等を守り給い世界平和の礎となられた神啓であると拝しました。
更に不思議なことは、下山しようとした六時二十分頃、急に雨が降り出しやがて沛然(はいぜん)たる大雨となって身動きもできません。思えば三世の霊魂達がこの谷口先生の讃辞により、霊界に於て懐しい親子兄弟との再会を果した随喜の涙でなくて何でありましょう。……
今こそ全信徒一丸となって世界平和の祈りと実践運動に徹し、世界平和の先達であり人類光明化の尊い犠牲となった二百三十万の英霊に、谷口雅春先生の讃辞を捧げて霊界より人類光明化運動に参加して戴き、全世界を愛の霊波で覆いつくそうではありませんか。
(『生長の家』誌 昭和38年11月号より)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
<つづく>
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