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「教区会員」板

655SAKURA:2013/06/01(土) 22:18:48 ID:aWzD9cbE
トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ―マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>654 投稿の続きです…。

「生長の家…」では〜〜〜? 創立者「谷口雅春先生…亡くなられました月」であります。
早いもので…「26周年…」とか〜〜此処で…当時を偲びまして「現総裁雅宣先生…」の当時の回顧録と
「恵美子先生…」の回顧録…「輝子先生…」回顧録を記載させて頂きます。…が?

     ■□■  尊師は山上を駆く  ━━━━━━━━━‡ 谷口 雅宣   
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 【 第 二 回 】

 町のあちこちに「琴海」という文字が見えてくると、私はこの名を「ことうみ」と訓読みで呼ぶ
誘惑に駆られた。琴海町は「きんかいちょう」と音読みするのだが、これでは文字の伝える静かで、
穏やかな響きが台無しびなると私は思った。円やかな琴の音が聞こえてくるような海――琴の「こと」
は、言葉の「こと」にも通ずるように思えた。それは、言葉の充ち満ちた海。豊饒な言の葉の海――
 
私は知らず識らずのうちに谷口雅春先生のことを考えていた。これまでに世にだされた書籍の数が
実に四百点。ほとんど一生を執筆と講話・講演に費され、溢れ出る言葉によって全世界の人々に真理
を伝え来られた人。私にとっては祖父に当る人だったが、物心ついた頃には、既に「祖父」という血の
繋がりを越えた“遥かな偉人”として存在していた。

 幼い時からの思い出が、先生の人格の印象を保ったまま、私の脳裏に走馬燈のように繰り広げられた。
不意に涙が溢れてくるのを感じて、私は驚いた。悲しいのではなかった。胸につかえるものが何もなく、
心の思いが流れるままに涙が流れていくような清冽な気持ちだった。

 と、窓外の視野が開け、再び山々が見えた。

恐らく飯盛山だったのだろう。もう朝の八時近かったから、山腹あたりの霧は晴れ、旭が反射して
黄金色に輝いて見えた。山頂付近はわずかに霞んだ状態で、その山の稜線の向うにも山が見えたため、
私はそこに連山があるのだと思った。

 その時だった。不思議な印象が私を把えた――

 「先生は、あの山々の上にいらっしゃる」
 
それから間もなくして、車が琴海町のはずれに差しかかった頃、総本山から
 「病院へ引き返すように」との無線連絡がはいった。
私が先生の他界を知ったのは、病院へ戻り、その穏やかな御顔を拝見した時だった。

                                      つづく


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