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「教区会員」板

654SAKURA:2013/06/01(土) 16:18:38 ID:BiiPCx.6
トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんにちは……  ロ―マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■□■ 今月は…『六月…』 は【水無月…】と言います〜〜〜ョネ!新暦と旧暦の月名の違いを実感できる月です。本来は、稲作を中心とした農作業を、みなし尽した月の、皆尽月(みなづき)、であったといわれます。
■ 此処でブレイクしまして〜〜〜
「生長の家…」では〜〜〜? 創立者「谷口雅春先生…亡くなられました月」であります。
早いもので…「26周年…」とか〜〜
此処で…当時を偲びまして「現総裁雅宣先生…」の当時の回顧録と「恵美子先生…」の回顧録…
「輝子先生…」回顧録を記載させて頂きます。…が?

     ■□■  尊師は山上を駆く  ━━━━━━━━━‡ 谷口 雅宣   
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  【 第 一 回 】

 その日の長崎地方は晴れだった。
 
 長崎大学付属病院の十一階の窓から差し込む初夏の晩光は、未だ目醒めぬ街
の東半分を柔らかく包みはじめようとしていた。

 前日の午後十時半過ぎ、私は病室に詰めていた付き添いの人からの緊急連絡
で、母と共に谷口雅春先生のおられる病室へと、夜の国道をフルスピードで車
を走らせたのだった。総裁先生は、血液中の酸素が足りないというので、鼻腔
から酸素が送り込まれたていた。肩で息をされ、苦しまれているように見えた。
が、その「苦しい」という意識が果たしておありだったかどうか、疑問だった。

 明け方になって、先生は少し落ち着かれた。こういう時には、人間は希望的
観測を抱くものである。私は、母を病室に残して、もと来た道を総裁公邸へと
帰る車中の人となった。

 長崎市から西彼町へ続く国道は、右手に湖のように静謐な佇まいの大村湾が望
め、左手には田植えの終わったばかりの瑞々しい水田、そして緑豊かな畑が、
山へ山へと続いている。その山は、高みへのぼるほどに朝霧を湛えて清澄な墨
絵の「青」に近づいていた。道は緩やかに蛇行していたから、私が窓外に目を
向けるたびに、ある時は大村湾の水が映り、ある時は水田が映り、またある時
は山影が見えるのだった。

西彼町に着くまでに、車は琴海町を通る。

                             つづく


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