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本流対策室/3 板

273「訊け」管理人:2012/08/16(木) 11:01:31 ID:???




>>270 >>271さくらマネ発言集

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>個人の感情や感覚重視の反応での、「真の〜偽の〜」「正、邪(虚)」との発言には、宗教として未熟な、短絡的な思考を感じています。

>つまり、自分の感覚重視、というだけでなく、バランスよく、客観的に検証することや、対話するような姿勢をもつなどは大切な気がします。

>生長の家の信仰に関して、このような暴走は、あり得ませんが、
>個々の人間としての、こうした部類の反応には疑問を感じます。

>ここには、和解の発想や、相互理解、どのような相手からでも 学ぼうとする発想は生まれないと感じ、残念になることがあります。
――――――――――――――


 ・・・・要するにさくらマネの言いたいことは、「短絡思考の戒め」という事だと思います。そしてそれは「同意」します。その、さくらマネの言いたいこととは、


○ 『大自然讃歌』がよいものとは思っていない(新聖経にふさわしいとは考えていない)
○ しかし、だからと云って、宇治の災害までも「この新聖経の影響」というのは、言いすぎではないか。


 ということです。(間違っていたら訂正してください)


 以下は私の語での補足になりますけども、(ですので、さくらマネ主張とはやや、趣が違うかもしれませんが)あの「大自然讃歌」に関して、私情で批判するのはどうかと思います。新聖経として「ふさわしくない」、それは同意するのですけども、だからと云って「災害までも新聖経のセイなの?」という疑問は、持つ人は当然現れるでしょう。思考プロセスに於いてこの種の短絡思考が顕れれば、雅春先生の繁えの否定にも、つながりかねません。

 「雅春先生の繁えの否定」ですけれども、たとえば雅春先生ですが、いったいどこに「祖先の霊が悪さをする」なんて、お書きになられておられるでしょう。新聖経が登場した位で先祖の霊、迷いに迷って災害を起こすものでしょうか。

 『大自然讃歌』が新聖経に「ふさわしくない」、それには同意です。ですけれども自然災害までもこの、『大自然讃歌』の責任にするような論調が増徴しますとそれ、その暴走は御教えの否定にも、つながりかねません。よくよく短絡思考、これは排除せねばならぬのではないでしょうか。そして、短絡思考の排除とは「『生命の實相』に還ること」を、意味すると思います。




追伸

 
 無論あの説(「新聖経が災害を起こした」)もこれ、検証は必要だとは思います。ですがその検証もあくまでも、『生命の實相』を基にしたもの、これ以外に検証方法はないと考えます。さもなくば「祖先が悪霊となり、暴れている」なんてことに、なりかねません(=そんな主張って生長の家の教えでは、ナイでしょ?)


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