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本流対策室/3 板

270@さくら:2012/08/16(木) 10:22:33 ID:RiL7uXLo
トキ様

この時期に、宇治におきましても、被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。

トキ様は、ここでのご発言から、災害は、完全に新聖経とのお考えのようですが、わたしもSAKURA様と同様、根拠を教えて頂きたくおもっております。

もちろん、わたしは、総裁の理論的考察(発祥当時の「知性回帰路線」?)の方向には、支持できる面があったのですが、
宗教団体の代表として立たれている立場で、今までの方針や反応をみていますと、
残念ながら、宗教的センスにおいては優れていらっしゃるとは言えませんので、新聖経の件は、ほんとうに残念に感じました。
生長の家に雅春先生のような特異とも言えるすぐれた指導者を頂きながら、その教えの核が失われるようなことは、教団の危機ということとも感じています。


ただ、いま、地球の歴史においても地球環境変動の時期に入り、太陽黒点の変化や、地層の移動などで、世界規模での災害が予測されています。
自然災害には、複数のさまざまな要因が考えられ、一つの因果関係を確定することは難しいものです。
むしろ、一つの原因に特定するのは危険であることもあります。

宗教において因果の法則の一面を捉えて、
例えば「蛾」を見た方が「我」が強い人だ、と決めつけられないのと同じように、
例えば、あるお経が原因で局部的災害が起こったと言い切ってしまうのも、とても無責任で迷信レベルであることがあります。
災害に合われた方にとっても、そうした原因を流布されることは、迷惑な場合があります。
また、そうした因果を特定した考えは、被害や災害に合われた方の、「心の影」などの言われ方に繋がらないとも限りません。

ちなみに、気候変動の時代は、過去の歴史においても幾つか経験され、その時期の文明や信仰の文化にも、たいへん影響を与えてきたようです。
エジプト文明やメソポタミア文明などや、またイースター島の滅亡の原因も、気候変動から人々の生活が不安定になり環境破壊が原因だったとする研究もあります。

そうしたことから見ても、人間の自然への配慮や分をわきまえた生活を心がけるのは大切ですが、宗教においても、温暖化の問題を熱狂的環境運動に全て結びつけることにも、偏狭なものを感じます。

環境の変化や災害の発生に対する、霊的な意義を見いだすのは、もっと慎重であってもよいとわたしは感じてしまうのですが。


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