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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

932トキ:2012/12/15(土) 14:51:38 ID:1QtZ064s
 思うのですが、谷口雅宣先生も、現象的には普通の人なんですから、社会通念から見て「長所」もあれば「短所」もある訳です。

 ところが、生長の家の「法灯継承者」が普通の人だと教団が困るのですね。それで、まるで超人のように持ち上げる訳です。
その良い例が今年の幹部研鑽会の某本部講師のスピーチで、ご本人を目の前にして、歯が浮くようなお世辞・・・・もとい、讃辞を
述べているのです。もっとも、あまりにもお世辞が過ぎると、聞いていた人には「げんなり」した人も多かったですが。

 その反動か、本流復活派には、総裁をクソミソに貶す人がいます。これも意味があります。教団が総裁をまるで神様のように持ち上げます。信徒
さんは、それを信じますが、現実に総裁と接する本部職員や幹部から見たら、当然、総裁の欠点も否定的な部分も見る訳で、そういう
プロパガンダにはすごい違和感を覚えるのですね。本流復活派には、元幹部や職員も多いですから、教団のプロパガンダに反発して、
総裁の否定的な部分を指摘する傾向はあるかと、個人的には感じています。

 個人的に見た感想ですが、当然、総裁も良い点、優れている点もあるし、逆に、欠点というか、これは良くないと感じる点もあります。
今は巨大宗教法人の指導者という立場にありますが、彼の長所が生かしきれず、逆に欠点が目立つ傾向にあります。現実に生長の家という
組織が混乱し、衰退しているのは、彼の組織指導が不適切なのは事実ですから、それは彼に責任があるのは否定しません。

 ただ、アクエリアン様が言われた通り、谷口雅春先生と同じ事を後継者の「総裁」に期待するのは、これは酷だと思います。
だから、谷口雅宣先生個人の資質を追求するのも必要かもしれませんが、谷口雅春先生以後の「総裁」のあり方、特に谷口雅春先生や
御弟子さんがおられなくなった時代以降、どういう「総裁」の形を教団が採用するのか、という点を明確に議論し、定義する必要
があると思います。

 そうでないと、仮に今回、解決をしても、また別の時代に、同じような騒動が起こる可能性があると感じます。


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