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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

871トキ:2012/11/30(金) 10:18:01 ID:mVj0PBWo
西向く人様

 志恩様が、子細をつくした説明をして下さいました。志恩様に深く感謝申し上げます。

 確かに、そのころでも、青年会と白鳩会では、組織の規模が違いました。その青年会が
白鳩会と同じ事をすれば、無理が生じるのは仕方がないと思います。

 個人的な経験ですが、昭和の終わる頃に、本部である会議があるので、ノコノコと本部見学
も兼ねて行った事があります。生長の家高校生連盟の後輩が、本部に奉職していたので、その
案内で本部を見て歩いたのですが、青年会部の部屋に入ろうとすると、その彼が、「私はこの
部屋には入りたくありません。」と言ったのをはっきりと覚えています。その頃、青年会以外
のセクションの生長の家職員と、青年会の話題をすると、表情が堅くなったのは記憶していま
す。
 その後、親しくなった本部職員(故人)の話によると、青年会指導部の政治への過度の関心は
生長の家本部はもちろん、青年会部内でも激しい議論になっていた、と聞きました。私は、詳細
は知りませんが、そのころの雰囲気を見ると、現在の対立の遠因がすでにあったような気がします。

 また、その時に、本部会館で立ち話をしている人がいたので、その横を黙って通り過ぎました。
後で、いっしょにいた後輩から、「あれは谷口雅宣先生ではないですか。どうして、挨拶をされ
なかったのですか!」と激怒されたのを記憶しています。別に故意に無視した訳ではなくて、相手
が他の人と話をしていたので挨拶をしなかったのだし、第一、昭和の時代だから谷口雅宣先生が
副総裁になられる前の話でした。だから、谷口雅宣先生の顔も知らなかったのです。
(これをご覧の谷口雅宣先生には、当時の失礼をお詫びします!)

 もちろん、恐縮はしたのですが、その本人もその場にいれば、普通は挨拶をしないのが当然の
状況だったという事がわかると思うのです。それを考えると、その後輩、というよりも、当時の
本部の雰囲気としては、これも異常なものを感じました。副総裁就任前から、こんなに持ち上げる
のは、ご本人のためにならないのではないか、と感じました。現在、総裁の出された指導方針が
ことごとく齟齬をきたしていますが、私はご本人にも大きな責任はあるが、周囲の人達の対応にも
何か問題があるような感想を持っています。

 以上、とりとめもない感想を申し上げて、失礼をしました。


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