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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

866志恩:2012/11/30(金) 05:45:27 ID:.QY5jUA6
西向く人様

青年会ばかりが責められて、白鳩が、なぜ責められないかというのは、
白鳩会は、そんなに無理は、しなくて済んだからだと思います。

もともと、8割以上が、ご婦人である白鳩ですから、数の上で無理しなくても拡大しやすい態勢だったのです。

白鳩会が十部一括、三十部一括をしていた当時,私は,本部に奉職中ですから、記憶しています。

白鳩会の場合は、【白鳩誌、百部一括運動】という名でした。
青年会のように、「百万部運動」とは言っていません。

白鳩が、一括運動を、始めたきっかけは、当時の広島県白鳩県連合会長・清水キミ子様が、
白鳩会中央部(婦人局)部長・古川恵偉(ふるかわ えい)先生に

「白鳩誌百部一括」という、光明化推進のための白鳩誌拡大運動を提案され、その提案を古川先生がお山へ持って行き、
輝子先生にお伺いして、許可を戴き、それで、古川先生が始められた運動だと、聞いています。

当時の婦人局には、白鳩会全国講師が数人おられましたが、各県で開催される「白鳩大会」「白鳩一泊見真会」の
折に、10部一括、それより多く出来る人は、100部一括をするようにということを、本部・婦人局から派遣された
白鳩全国講師が御講話のとき、講話に混ぜて,話されたそうです。

白鳩大会や、白鳩一泊見真会が終わるころ、白鳩会県連合会長が、まとめて、数を出し、
それを全国講師が、手みやげのように、まとめた数を戴いて帰って来られたと聞きます。かなりの成果をあげたようです。

(私事で恐縮ですけれど、私の結婚後に分った事ですが、
私の夫の母も、その頃、ある県の白鳩会県連合会長を4年間務めていた時期でした。

義母が言ってたのは、百部一括運動は、すごく一所懸命やった。でも、皆さんも頑張って下さったお陰で、
神さまのために使命を果たせて、あの時は楽しかったわ、と笑って言ってましたから、無理はしてなかったようです。)

その頃、私の実家の母の方は、地元の組織におりましたけれど、白鳩百部はせず、十部一括でした。
実母は、その代わり、その他に単行本を献本用に毎月、たくさん買っている人でした。母は神誌より単行本を献本するのが、
好みでしたので。そういう選択の自由があったのです。

本部で、白鳩の全国講師の先生方とも、私は、ちょくちょくお話したりする機会もございましたが、
一括の話は、個人的には、されたことはありませんでした。

今,思えば、白鳩会の白鳩誌拡大運動が,成功したので、青年会でもやろうということになったのでしょう。

以前、トキさまが、おっしゃってましたが、やはり、理誌拡大運動の提案者も清水キミ子様だったということですから、
光明化運動拡大のため、純粋な気持ちで、熱心に理想世界誌の拡大運動も提案されたのだと思います。

それが、青年会は,白鳩会より,数がずっと少ないので、される方々が、目標達成に、如何に大変だったか!!
推察出来ます。

再度、いいますが、白鳩が問題になっていないのは、もともと白鳩の信徒数が、圧倒的に多かったので、拡大運動も、
青年会のように大変でなかったからだと思います。どの宗教団体でも同じで、ほとんどが女性の信徒で占めているそうです。


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