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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

841うのはな:2012/11/03(土) 13:43:13 ID:cZ3Ym7Bg
   善友を持つことは清浄行の全体

 中村元博士訳『ブッダ神々との対話(サンユッタ・ニカーヤI)』(岩波文庫)は、
ブッダの直接のことばが残されている可能性のある古い原始仏典です。その経典の第Ⅲ篇
第二章第八節五〜六に、ブッダの侍者だったアーナンダ(阿難)とブッダの善友に関する会話が
収録されています。

 五 そのとき、修行僧アーナンダが、わたしのいるところに近づいて来ました。
近づいてから、わたしに恭しく挨拶をして、傍らに坐したアーナンダは、わたしに次のように
申しました。『尊いお方さま!善き友のあること、善き仲間のいること、善き人々に囲まれていることは、
清浄行の半ばに近いと』。

 六 このように言われたので、わたしは修行僧アーナンダに、次のように言いました。
『アーナンダよ。そうではない。そうではない。善き友をもつこと、善き仲間のいること、
善き人々に取り巻かれていることは、清浄行の全体である』(以下略)。

「清浄行」とは、悟りを得るための修行のことです。
「善友を持つことは、悟りを得るための修行の半ばまで近づくことではないでしょうか」と言う
アーナンダの問いに対して、ブッダは、「そうではない。善友を持つことは、悟りを得るための修行全体である」
と答えているのです。

 それほどに、ブッダは善友を持つことを重視しています。
それは、善友との人間関係の中に真理が宿り、育っていくことを表わしているのだと思います。
善き仲間、善き先輩や師を持つことは、自己を確立していくうえで欠かすことのできない重要事なのです。

『ナゼか運を呼び込むブッダの法則』 田中治郎 著


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