したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

836うのはな:2012/10/28(日) 20:36:28 ID:mlekxk7E
  寛容と忍耐が武士の行き過ぎを抑制した

 恥を恐れることは大いによしとされたが、それが過ぎると病的になり、名誉の名の下に武士道が許さない
非行を犯すこともあった。短気で驕り高ぶった者が、ほんの些細な恥、あるいは実際には恥でもないことを
恥として刀を抜き、無益な闘争を引き起こし、罪のない人々を殺すことがあったのである。次のような話がある。

 侍の背中にノミが跳ねているのを見た町人が善意からそれを教えると、侍は、ノミは畜生にわくものだ、高貴な武士を畜生と同一視する
とはけしからん、とたちまち一刀の下に町人を切り捨てた。つくり話にしてもあまりに馬鹿げているが、こんな話が伝わるには三つの理由が考えられる。

一、平民を畏怖させるためにわざとつくった
二、武士がその身分を乱用した
三、武士の間で恥の観念が強大に発達していた

 このような弊害を見てただちに武士道を非難するのは、ちょうど宗教的熱狂、
妄信の産物である宗教裁判、偽善などを捉えて、キリストの真の教えを批判するのと同様、
理不尽なことである。

 しかし宗教的熱狂にも、酔っ払いの狂態に比べればなお人を動かすものがあるのと同様、
武士が過剰に名誉を重んずるということの中にも、その根底には純粋な徳性の存在が認められないだろうか。
名誉の掟が行き過ぎてしばしば不健全に陥る傾向があるにしても、それは寛容と忍耐の教えによって多くは相殺された。
「ならぬ堪忍するが堪忍」という諺があり、また徳川家康は「人の一生は重き荷を負いて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず.......
堪忍は無事長久の基........己を責めて人を責めるな」といい、よくこの説を自分の生涯において実証した。

 信長、秀吉、家康の三傑を評して、よく知られた句がある。
信長「鳴かざれば殺してしまえホトトギス」
秀吉「鳴かざれば鳴かせてみようホトトギス」
家康「鳴かざれば鳴くまで待とうホトトギス」

 孟子もまた忍耐我慢を大いに奨励した。「汝裸体となりて我を侮辱するとも、我に何かあらん。
汝の乱暴によりて我が魂を汚す能わず」と語り、小事に怒るのは君子の恥ずるところ、大義のため怒るのが
義憤なり、と説いた。

 武士道を信奉してその道を極め、ついには非闘争的柔和の極地に達した者がある。
たとえば小河立所(※江戸時代中期の儒学者)は「人が悪口をいうのには逆らわない。自分の信用されていないことを反省せよ」
と述べ、熊沢蕃山(※江戸時代初期の陽明学者)は「人がとがめてもとがめまい、人が怒っても怒るまい。怒りと欲を捨ててこそ、心は
常に楽しむものである」といった。

 もう一人、その張り出した額には「恥もここに座るのを恥じる」ほどの清廉で高い徳義を持った西郷隆盛の言葉を挙げる。
「道は天地自然のものにして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛したもうゆえ、我を
愛する心をもって人を愛すべし。人を相手にせず天を相手にせよ。人をとがめず、我が誠の足らざるを反省せよ」

 こうした言葉はキリスト教の教えを想起させ、実践道徳において、自然宗教がいかに啓示宗教に近づき得るかを示している。
これらの言葉は現実の行為として示されたのである。

 『武士道と修養』 新渡戸稲造 著


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板