したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

751元本部職員D:2012/10/12(金) 12:23:57 ID:???
たとえ負けても摂理として戦わざるを得なかった先の大戦を・・・
と書き込んだ私の文章を「神の摂理」とわざわざカッコ掛けして書き直されることはいかがでしょうか。
「神の摂理」などという言葉は慎重に取り扱わなければならない言葉ですので私は使った憶えはありません。

初心者さんという方は、どうも人の意見や書き込みの一部の言葉に引っかかりさらに別の言葉に書き換えて
強調するクセのようなものがあられるようです。わたしの大嫌いだった雅宣さんとよく似ています。
あと短い人生の時間の中を、そういう人と対論する時間は無駄と考えますので悪しからず。(だから私は本部を退職したのですから)

 自分の身を引きずりながら十字架を背負いゴルゴダの丘を登っていかれたイエスキリストのお話をされて
先の大戦の摂理を説かれた雅春先生には、大きな愛があられました。戦地で倒れ玉砕した兵士に対しても、あなた達の死は決して犬死などではないと
慰霊祭で呼びかけられました。そのような大きな「慈悲や愛」を雅宣さんは削除して○×思考で侵略があったか無かったかと、紙面である青年を問い詰めたのです。
 この時にこの人は知恵があっても愛が足りない淋しい人なのだと思いました。

 知恵があってもそれ以上の愛が無い人は宗教指導者としては不適格だと私は感じています。
あの一連の文章はね評論家であれば良かったのですが、宗教家としては最低でした。

 一神教がどうたら多神教がどうたらの評論には興味ありません。

生長の家の神は、
 「神はすべてのすべて」
 「神は完き生命」
 「神は完き叡智」
 「神は完き聖愛」  ちがう神がどうたらという説は迷いの学説と思いますので興味はありません。 早々


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板