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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
684
:
山ちゃん1952
:2012/10/10(水) 18:30:28 ID:RtA64Ims
さくら様
少し違うのですが?
私が本来「神の子」と付けた意味が違うのです。
それならば「実相」と「現象」を混乱させます。実相の世界においては「本来神の子」
であり、その本質は神の子であります。
物質なしと生長の家では説きますが、この現象世界では人間は食事という(物)を食べないでは
生きていけないのです。その物質世界においては全てが不平等なのです。
それが分からないといけません。なんでもごちゃ混ぜにしてしまうと本来の付く意味が
わからないようになります。それであるならば秩序整然たる世界は生れてきません。
実相世界においては不平等も病気もないのであります。だがそれを司る現象世界は不平等であります。和解
などありません。だがそこにおいてその不平等と和解すれば混乱の世界を招きます。
それは相容れない世界なのです。闇は本来なし。キリストが神の使いの天使が堕落した悪魔の世界を見て
「サタンよ去れ」と云った言葉とおなじように雅春先生は「闇」本来なしと
云ったのであります。
これは決してキリストはサタンとは和解などしていないのであります。そうした虚説に対して
全否定することにより「サタン」=闇を無しと宣言したのです。
だからこそ雅春先生は虚説という言葉を使用されたのです。
そこのところを理解しないと最初にいったように現象と実相を混乱してしまって
なんでも和解すればいいと思うわけであります。
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