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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

656山ちゃん1952:2012/10/10(水) 08:54:55 ID:RtA64Ims
さくら様

>甘い考えですね、
それでも仕方なく、和解を信じるしかないものです。

山ちゃん1953さまは、どのような点で、自由な議論や和解が不可能と思われますでしょうか…。<

本来和解というのは「仕方なく」では妥協となります。和解というのは根本的なものをいいます。その人を
信じて、疑わぬものこそ「和解」と呼べると思います。そこが和解の論点である。
あれこれと詮索して疑義しているようでは、”仕方が無く和解する”では和解と呼びません。

それではどうしてそれを選択していくのかというと私の場合はその人の「オ−ラ」や
「目」であります。私は嘘や強弁や似非的なる言葉を発しているかどうかを潜在的な価値判断で
見ています。

そんなこと云ってもわからないといわれるかもしれません。
たしかにそうでしょ。だが、長年生長の家を活動しているとそういう峻別も出来るのです。
そういう場合はあえて放置したり、連絡を取らなかったりします。それがその人の為になる場合
があるのです。

例えば「幸福の科学」を信じている人に生長の家と違う教義や規約などで
これが間違いだといっても「信じてもらえない」のが実情であります。
それを信じているから無理なのですね。いくら他人が間違いだと云っても
聞く耳をもたないのです。それを和解するとういのは至難の業であります。

それよりもこちらは勉強して沈着に物事を判断することなのです。『生命の實相』
や谷口雅春先生の歴史などを勉強して、どうしてこの年代でこのような事を考えられたか
をじっくり考える事や『生命の實相』に書かれている真理を読み返すことが必要であります。

そうすることにより「本当のもの」か「そうでないものか」の判断が養われると思います。
そうしたことを勉強しないでいればわからないと思います。

それではどうすれば自由な議論が出来るかと言うと「何も掴まない」無碍の精神でいること
なのです。「この人はおかしいぞ」と思えばそういう形体になるのです。それは心底信じて
いないからなんです。そういう雰囲気を醸し出しているときにこそ自由に闊達に話が出来る
時でしょう。

幸福の科学の種村君などは幸福の科学のトップの次の幹部である。それが30年でこれが
おかしいぞと気がつき始めるのであります。当初は生長の家の本部で働いていて、上昇
の雰囲気があった「幸福の科学」に行くのですが、ようやく似非な部分に気が付く
のです。

そんな人に最初からおかしいといっても無理なのであります。
だから、日頃の勉強や研鑚は欠かせないのであります。だから不可能というような
ものではありません。年月やそのまま亡くなってしまう場合もありますがそれまで
気がつかない場合はよくあります。亡くなったら仕方がないというかも知れませんが
そういうのではない。亡くなってから気がつく場合もあります。

だが現象で生きている人にとりそれでは駄目なのです。「生長の家」の根本教義
を伝えなければならないのであります。今回の経本もそうですね。「聖書」の「第二聖書」
を作るようなものなんです。それがおかしいと言わなければいけません。
だがそれが信じている人には出来ないのであります。それは根本が間違っているからなんです。
生長の家→教祖→御教えという図式にしなければならないのをその時の弟子が谷口雅春先生イコ−ル
総裁でしたから間違えいでなない。
だが次の清超先生で変更しなければならない規約だったと思います。

和解には時として時間が費やされます。私は以前に谷口雅宣総裁の間違いを指摘しました。
それを訂正されたのでありますが、総裁はこうした反対論に右顧左眄している部分があります。
自分に自信が無いからであります。だが反対に真理をおかしな方向に説いたりしているのは
「裸の王様」になっているからなんです。そんな人にいくらいっても無理であります。
聞く耳を持っていないからなんです。
だから和解は無理だと云っているのであります。


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