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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

650さくら:2012/10/10(水) 00:21:00 ID:RZN70R6s
山ちゃん1952様

合掌ありがとうございます。

たいへん、お久しぶりでございます…。
横レス失礼いたします。

さくらです。
…先日は、お言葉を頂きましたようで、たいへん恐縮しております。
わたしは、信仰の観点から和解を信じるものですが、
経験の少ない者ですし、若輩者ですので、
それが先輩方には、甘い考えだと思われるのも仕方ないと思っています。

ただ、和解を信じるのは、わたしの拙い経験云々以上に、
…やはり雅春先生に教えて頂いたみ教えから学びましたことを、信じるしかない、という思いです、
やはり、どこを読んでも、そう信じるしかないということなのです。

それは妥協や虚説に負けるなどを超えた、そういう和解を信じているということです。
意見が違うことや、み教えの捉え方が違うことで、同じ生命の実相の信仰を持つものが、バラバラになり話し合いができないようなものではなく、
人間が神の子であり、どんな虚説によっても穢れることがない実相独在の世界があるという…そういう信仰を教えて頂いたからです。

本流派側の方が言われる、虚説の実態とは何でしょうか。
本流掲示板から、光明掲示板になっても、
結局、総裁の言動がこうである、現教団の実態がこうである…
そのことが分かっただけでした。
それは…結局、現象の迷いの現れに過ぎないではないのでしょうか。
そのような迷いによる現象は、実相が顕れたときには、消えてしまうと教えて頂いています。

そのような意味で、「和解」を信じているのです。

話し合いは、忍耐が必要なことなのは、わかります。
特に、山ちゃん1953さまのような先輩は、経験や知識が乏しいわたしのような下の者に話すのは、とても骨の折れることと思います…。

わたしは、他宗教から、生長の家に来ました。どうしようもなく、人間には罪があることを頑なに信じていました。
その時、「生長の家は、虚説とは和解をしないから、あなたは自分のいるべきところに帰れ」と追い出されていたら、今のわたしはありません。

その時に、生長の家の恩人が、何度も何度も、対話をしてくれて、何度も受け入れてくれて、それは信仰による愛念以外のなにものでもないのですが、
わたしは、その愛によって、生長の家の信仰に触れることが出来ました。
…だから、迷いの中にある時も、分かり合えることを、簡単に諦めたくないとおもってしまいます。

甘い考えですね、
それでも仕方なく、和解を信じるしかないものです。

山ちゃん1953さまは、どのような点で、自由な議論や和解が不可能と思われますでしょうか…。

さくら再拝。


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