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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

610goro:2012/10/09(火) 10:31:33 ID:Cc8Z7oOY
引用文

『生命の實相』第14巻・倫理篇(下)第四章「和解の倫理」

 われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。

虚説に和解したら実相をくらますことになります。
実相をくらませば、みずから迷うことになるのであります。

異端・盲説・妄念・妄想は、<本来無い説>―虚説―でありますから、
その実相をみれば「本来ない」ことが判るわけでありますから、
本来ないもの「虚説」に和解することは絶対に出来ないのであります。

光は闇と和解することは出来ない。光が近ずけば闇は消えるほかはない。
それと同じく、真説は虚説に近ずけば虚説を消す働きをする。

虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳が無いように思うのは間違いであります。 
また、虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
 
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、 
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許す……。

どうかみなさんも虚説(=ないもの)に対しては和解することなく、
どこまでも「サタンよ去れ」の態度で進んでいただきたく、

人間に対しては、その表面の包み(=罪)を見ないで、その罪なき完全なる実相を見て、
その罪を赦す(=その罪を本来無いと見て捨てる)ことにしたいのであります。

以上の何処に悪質な改竄がありますか?


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