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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
569
:
goro
:2012/10/07(日) 17:23:35 ID:Cc8Z7oOY
トキ殿・訊けどん、始め和解派の方々へ
雅宣総裁への「和解派」の方々に「本流復帰」を切望する私達の論拠を
再確認のために、山下一臣様の投稿文より一部を抜粋して紹介させて頂きます。
雅宣総裁の迷妄を明らかにする為に、改めて詳しい内容を再確認される事をお奨めします。
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生長の家“本流宣言”掲示板
日時:2011年09月15日 (木) 12時49分
名前:山下一臣
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=921
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『生命の實相』第14巻・倫理篇(下)第四章「和解の倫理」
われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
実相をくらませば、みずから迷うことになるのであります。
異端・盲説・妄念・妄想は、<本来無い説>―虚説―でありますから、
その実相をみれば「本来ない」ことが判るわけでありますから、
本来ないもの「虚説」に和解することは絶対に出来ないのであります。
光は闇と和解することは出来ない。光が近ずけば闇は消えるほかはない。
それと同じく、真説は虚説に近ずけば虚説を消す働きをする。
虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳が無いように思うのは間違いであります。
また、虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。
虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許す……。
どうかみなさんも虚説(=ないもの)に対しては和解することなく、
どこまでも「サタンよ去れ」の態度で進んでいただきたく、
人間に対しては、その表面の包み(=罪)を見ないで、その罪なき完全なる実相を見て、
その罪を赦す(=その罪を本来無いと見て捨てる)ことにしたいのであります。
雅宣総裁「今の教え」
“迷い”は自由から来る!?
<<例えば、食堂へ入って、何を注文しようかと迷う。迷いは(この選択の)自由から来ている。
自由の裏側に迷いがある。迷いと云う経験を通して自由を行使する中で現象に善悪を実現する。
そのために迷いがある。つまり、「迷いは欲望追求のために自由を行使しようするところから来る」。
(大要)>>(『小閑雑感』・平成19年7月21−29日)
雅宣総裁は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』によって説明しようとしないで、自身の頭の中で考えた理屈で説明しようとするから、
「迷いは欲望追求のために自由を行使しようするところから来る」などと、小理屈を捏ねた難解な非宗教的コトバでしか説明できず、
そして食堂のメニューの中から自分の好みを決める時の単なる“思案”を、「迷妄」の全く不適切な例として説明しているのであります。
信徒をしてますます「迷い」のトンネルへと誘い込んでいるのであります。
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