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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

552トキ:2012/10/03(水) 19:45:35 ID:4FimSElg
 今回の教団側と本流復活派との対立が表面化してから、生長の家の活動は大幅に低下しました。
しかし、あえて何かの意義を考えても良いと思います。

 谷口雅春先生ご存命の当時はもちろん、谷口清超先生ご存命中でも、生長の家の話題を組織外で
議論をするという事はありませんでした。これは、組織人として部内の問題を部外に持ち出すのは
間違っているという感性と、信仰者として問題を議論するのはおかしいという発想がありました。
まあ、そのあたりは「懺悔の神示」がお示しの通りです。

 もちろん、パソコン通信やインターネットのサイトでは、生長の家の会員や幹部だけを対象にし
たフォーラムはありますが、とても自由に議論ができる雰囲気ではないです。

 ところが、今回の紛争が始まって以来、会員がネット上で組織や運動について自由に議論をする、という
事態になりました。これは、ある意味では、困った事ですが、同時に可能性がある話でもあります。

 今までは、信徒は、生長の家の組織に所属する事が大前提でありました。しかし、その組織は、永年
活動を継続する中で、やはり時代に会わない部分や、信仰から外れた部分も出て来た訳です。しかし、
部内では、そういう事も話が出来ませんでした。ところが、今回、サイトで信徒が自由に投稿でき、
議論を重ねる中で、信徒自体が組織や運動についても自分なりの考えを持つようになってきたのです。

 実は、20世紀には、創価学会や天理教、悪名高い統一協会等等、いわゆる巨大教団という宗教が
発達してきました。しかし、今、見渡すと、大半の教団の活動が停滞していると言われています。こ
れは、個々の教団の問題というよりも、21世紀になり、宗教組織のあり方が、もっと個人重視のあ
りかたに変化をしてきたのではないか、と感じています。例えば、教団のトップが号令したら、
特定の政党を指示したり、特定の政策を唱える、というあり方を信徒は受け入れないのではないか、
あるいは、組織に中性を尽くす事が、信仰心が篤い事になる、という考えが変わる前兆だとも
考えています。

 生長の家でも、総裁が絵手紙をしましょう、と言い出したら、北海道から沖縄まで同じ事をする
システムになっています。しかし、沖縄の人と北海道の人が同じ事をする必要はないはずです。
その場、その土地にふさわしい運動があってしかるべきであと思います。

 そういう事を考えると、今回の一連の争いは、生長の家教団には、たいへんな打撃ですが、考えよう
によっては、いままで教団上層部の「ご指導」に束縛されていた信徒が、より自由な形で信仰をし、
活動をするようになる前段階ではないか、とも思えます。

 その結果が半と出るか、長とでるかは不明ですが、信徒である我々は、それが時代に適合するよう
建設的な議論はすべきだと思っています。

合掌 ありがとうございます


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