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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

502うのはな:2012/09/18(火) 21:29:04 ID:V62KUiUw
 「靖国訴訟」の実相  徳永信一 弁護士

 平成二十四年の今年は、靖国神社を命名した明治天皇の崩御からちょうど百年目になります。
靖国神社には、そこに祀られた英霊とともに歩んできた近代日本の記憶が大切にしまわれていますが、戦後の
誤解と偏見がそれを厳重に封印してきました。

 太平洋戦争(大東亜戦争)の終戦から六十七年がたち、人口統計によれば戦後生まれは日本人全体の八割を占めています。
そして私がかつてそうだったように、戦後生まれの「戦争を知らない子供たち」の多くは、壮年を迎えた今も靖国神社とどう
向き合ってよいのかわからないまま戸惑っています。その理由は、私たち戦後世代が受けてきた教育にあります。

 私たち戦後世代は、戦前の日本は自由も人権もない暗黒の専制国家であり、太平洋戦争は悪しき侵略戦争であり、夜郎自大な軍国主義
によって近隣諸国に多大な迷惑をかけてきたと教えられてきました。そこで語られてきた物語は、敗戦によって平和を愛する国家として生まれ変わり、
国民は皇国史観や国家神道といった誤った迷妄と抑圧から解放されて主権者となったというものです。

 日本国憲法はこの物語を宣言する正義の聖典として祭り上げられました。現実の政治では、しばしば戦前の亡霊が蘇り、これに憑依された悪の手先が、日本国憲法
の理想を妨害し、日本をかつての闇に引きずり戻そうとしますが、普遍的な人類愛と理性に目覚めた進歩的な人類愛と理解に目覚めた進歩的な国民は、団結してこの悪しき
企てを撃退しなければならないのです。そこで靖国神社は、非業の死を遂げた戦争の犠牲者たちの怨念が封印された墓所としておどろおどろしく語られてきました。
「いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して、敬意をはらう権利と義務がある」
というブルノー・ビッテル神父によるマッカーサーに対する答申によって、靖国神社が焼却から免れたことを教わることはありませんでした。

 民族の物語は時代錯誤の迷信だとして排斥され、これに代わる物語とされたのは「階級」と「世代(ジェネレーション)」でした。
私は階級闘争のイデオロギーには懐疑的でしたが、新しい世代がこれからの世界を担っていくのだという時代の雰囲気にどっぷり浸かっていました。
昭和が幕を閉じるのと前後して、戦後の世界を形づくってきた冷戦体制が崩壊し、イデオロギーに封じ込められてきた民族と宗教が再び世界の表舞台で
うごめくようになりました。

『靖国神社』 神社本庁編


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