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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

456トキ:2012/09/05(水) 19:48:21 ID:IKNElM0s
 「教区会員」板で、個人指導について書いたので、番外編で書きます。

 個人指導とか、あるいはお世話活動というのは、時間がかかり、労力もいるので、確かに嫌がる人もいます。
特に,偉い大幹部様になると、そんな些細な事は、部下にやらせたら良い、という態度を取る人もいます。ま
あ、本当は、やらない、のではなくて、出来ないのでしょうけど。

 ところで、戦前の生長の家の記憶がある「一白鳩会員」に言わせると、生長の家という組織の雰囲気は確かに
変化した、と言います。その要員は多々ありますが、私が思うに、社会の変化にともない、生長の家、という
よりも、宗教団体に求められる内容に変化が生じたのではないか、と思っています。例えば、テレビもインターネット
もない戦前では、宗教団体は信仰の純粋性というのが目的でした。

 ところが、戦後になり、街では、人間関係がどんどん希薄になり、「隣は何をする人ぞ」という社会になりました。
個人主義が「善」となり、他人に干渉するのが「悪」という時代になりました。が、社会が高度化しても、
引きこもりとか、不況とか、夫婦間の悩み等は,相変わらず存在します。昔なら、そういう事の相談を近所の
叔父さんやおばさんがしてくれました。が、今では、そんな相談を気軽に引き受けてくれるのは、宗教団体しか
ないのです。個々人が抱える悩みの対応を人は宗教団体に求めると思うのですが、逆に言うと、宗教団体が、こういう
個人の救済を軽視するのなら、その教団は早晩、信徒から見放される運命にあると思います。

 私が危惧するのは、今の教団が、こういう個人指導やお世話活動の意味を認識していないのではないか、という
点です。機関誌を見ても、ひたすら総裁を褒めまくる事に終始しています。かって、聖教新聞を見たら、記事の
内容が、ひたすら池田大作を褒める事に終始していたが、それと同じだと感じました。

 今、教団がどんどん衰退しているのは、やはり、こういう面を軽視しているからではないか、と感じています。

 まあ、教団に指導方針の変化を期待するのは難しいですが、これを読まれた信徒の方々が、自分の行動を変化さ
せるのは期待できます。どうか、こういう地道な活動を大事にして下さい。

合掌 ありがとうございます


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