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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
428
:
トキ
:2012/08/28(火) 18:51:40 ID:QKApa1ss
◇
戟後の昭和二十三年春、京都市公安委員会ができた。当時の市長は神戸正雄博士、
助役は田畑磐門氏。公安委鼻は石川芳次郎、田畑忍(同志社大学教授)、鎌田敬四
郎(元朝旦屏都支局長)の三氏で、石川氏が委員長だった。自治体警察(市瞥)本
部長にほ当時松江で検事正をしていた永田童一氏(現弁護士)が迎えられた。
永田氏は自治体警察の目鼻がつくまで、という約束で京都に乗り込み、そこで公
安委員長の石川翁と親交を結ぶようになった。
なにしろ日本ではじめての公安委鼻制度なので、最初どういうふうに運営すべき
か、だれにも見当がつかず、委員会は議論百出、容易に結論が出なかった。当時市
警本部長だった永田童一氏の話。
「石川さんの委員長ぶりは実に老練巧妙、多く教えられるところがあった。時々学者肌の田
畑委員が、例の生一本の性格で自説を固持し、石川さんの世なれた妥当な意見も聞き入れ
ず、一歩も譲らない。同席の鎌田敬四郎委員や市警幹部たちもいささかもてあまし気味。石
川委員長がどう裁くかとみな興味半分に見守っていると、石川さんはスッーと席を立って出
て行く。トイレへでも? と思ってしばらく待っていてもなかなか帰って釆ない。
あとで考えると、議論の鼻先をそらすために間をおき、拍子ぬけを食わすためだったよう
だ。席にもどった石川委員長は、前の問題は知らぬ戟をして、次の議題に移り、いつの間に
か全議題をまとめあげてすましている。
こんなことが二度や三度ではなかった。田畑委員が発言して議論がもつれだすと、「石川
委員長がもう立ってトイレへ行くぜ」と、私や内海倫君(当時の保安部長)、小川鍛君(当時
市警本部次長のち本部長)など顔を見合わせてニャッとしたものだ。その当時市警にいた
幹部が毎年一回集まり、山紫会という同窓会を開き、石川翁や私、小川君を招待してくれた
のはありがたかった。むろん生前の石川翁も喜んで出席していられた」
(つづく)
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