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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

427トキ:2012/08/28(火) 18:51:10 ID:QKApa1ss
 石川翁は性格円満、人徳の人であり、調和の人であり、したがって調停の妙手で
あった。

 戦前、戦中、終戦直後にかけて同志社大学は内外多事、まことに困難な時代で、
湯浅八郎総長や、当時の常務理事、校友会(男子卒業生の団体)会長だった石川翁
などは苦労のし続けだった。昭和十年から戦後の二十七年まで同志社本部事業部長、
 理事会書記長を勤め、石川翁の傘下にあった奥村龍三氏(現神戸市在住)の話によ
ると

軍国主義の波をかぶり、同志社大学の法、経学部の教授陣が上申組、被上申組に別れ、対
立抗争を続け、上申組は警察、憲兵、右翼団体、そして学内配属将校のグループと緒托し、
絶えず被上申組の教授陣をおぴやかし、収拾のつかない状態となり、大学本部は困惑した。
このとき、奥村氏は石川翁と相談、同志社顧問弁護士山下彬磨氏のきも入りで、山下氏の友
人中島今朝吾陸軍中将(当時の憲兵隊長)を学園に招き、仲裁の労をとってもらうこととし、石
川翁の適切な裁きによって一応の落着をみた。
 まったく石川翁の手腕と英知のたまものといえよう。

(つづく)

          ◇


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