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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
3703
:
志恩
:2018/04/27(金) 20:06:25 ID:6hRUvSRg
続きー
これは正統な教会に所属しなければ救済されない、あるいはキリスト信徒でなければ救われない、といったような、
キリスト教の伝統的な教義を超えたところに、キリスト(実在者)をとらえている、ということである。
さらにイエスとは、この普遍的力(キリスト)の体現者であり、偉大なる「道を示す者」であるとするなど、
メタファーとしてイエスの存在が認識されているため、彼らの思想は「原理主義」とは完全に一線を画しているといえよう。
「われわれは、それが見出されうるところではどこででも、真理を探究すべきである。
われわれは差し出されたさまざまな「真理」を吟味・分析し、個人的要求を充たし、われわれ自身のガイドとして役立つもののみを受け入れるべきである。」
(同書、522頁)
「それが見出されうる」ところの「それ」とは、キリスト(実在者)のことである。
ニューソートでは、宗派や教派にこだわることなく、さまざまな「真理」を吟味・分析して、キリスト(実在者)に至るためのガイドとして
役立てることが推奨されている。
つまり、「真理」とは、キリスト(実在者)に至るための、「ガイド」にすぎないのであり、それが見出されるのであればどこででも真理を探究せよ、
大切なのはその教えがわれわれ自身の「ガイドとして役立つ」か否かということであり、「真理」の字面そのものに価値があるのではない、
という極めて実践的な求道のスタイルなのである。
「神の本質から、人間と全被造物への神的流入があり、それは普遍的幸福の基礎としての役割を果たす。
この神的流入ないし知性は、宇宙のあらゆる部分にわたって、いっさいの物質的、また霊的顕現の中に現存する。
聖書は神の聖言であるが、霊的解釈をとおしてのみ正しく理解されうる。」(同書、522頁)
「人間と全被造物への神的流入」とは、イスラム教のバスターミーの体感した「神の愛」、ユダヤ教のクレカサスが説いた
「最高の善性たる神と流出せる善性としての世界」、そしてヒンドゥー教のダードゥーが説いた、神の「喜びの流出」と符合している。
これらは、それぞれの宗教に現れた、一つなる神の〝共通部分〟なのである。
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