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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

319トキ:2012/07/21(土) 11:39:36 ID:u4YqpErQ
 少し関係のない話題を。初心者様の投稿を拝見して、全然関係のない事を感じました。
失礼をお許し下さい。

 教区での活動は結構、地味です。基本的には人生相談とかお世話活動が多くなります。
今は景気が悪くて、お金がない人とか、あとは子供が引きこもりだとか、親がガンだとか
失業をした、とか、いわば個人の悩みで活動の大半が終わります。

 例えば、子供の引きこもりなどは、今の日本ではカウンセラーも少ないし、いてもお金
がかかります。そういう場面で、宗教団体というものが果たす役割りは決して少なくないと
痛感します。今、夫婦問題が起こって、真面目に話を聞いてくれて、解決に協力してくれる
人は同じ宗教法人の人しかいないと思うのです。

 悪名高い創価学会なんか、楠に書いた文字を拝むなんて原始的な信仰だと思うのですが、
何であんなに人気があるかと言うと、いわば人間関係の濃密さが違うみたいです。会員が
引っ越しをすると聞くと、周囲の会員がみんなで手伝いに来る、という話は聞きます。別に
それを肯定する訳ではないのですが、宗教の組織が宗教の信仰とは別の存在になっているの
は痛感します。

 その中で中心になる幹部とか講師、職員は、もちろん信仰というものが大事ですが、同時に
人間というものを考えないといけないと感じます。マザーテレサが、「死を待つ人の家」で
亡くなる人に、ヒンズーを信じる人には聖なるガンジスの水を与え、仏教とにはお経の一節を
イスラム教の人にはコーランの一節を読み上げる、という話を聞いた事があります。その
意図はよく理解できます。私自身、お世話活動をしていると、共産党の人も創価学会の人
も出会います。その時、彼らの価値観を尊敬する事も大事だと思っています。ある意味では
とんでもない生長の家の信徒かもしれませんが、私に取って自分の信仰が大事なように、
他人に取っては,その人の信仰や信念は大事なのです。

 21世紀を迎えて、これからどういう社会になるか、信仰になるか、分かりません。
ただ、吉本隆明が「親鸞が1000年前に言った事は今でも通用する」と言ったように
社会が変化しても、人間の本質が変化するとは思えません。だとしたら、基本的な悩み
も同じだと思います。

 高い高い悟りは必要ですが、同時に、救済というものをどう考えるか。それが、これから
の生長の家を含む宗教のあり方の宿題だと思います。


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