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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
3120
:
トキ
◆UMw6UoGELo
:2016/07/10(日) 20:49:05 ID:UTML4pJI
>>3114
ご投稿、ありがとうございました。
私がお世話になった先達のお一人に、戦前に入信され、谷口雅春先生の随行もされた大先達が
おられました。定年まで本部講師としてご活躍され、定年後は郷里に帰って後進の指導にあたら
れました。私もいろいろな事を教えていただきました。有名な講師でしたが、ご子弟が現在も
教団の役職を務めておられるので、ここでは匿名とさせていただきます。
ある日、その先達と、地元の相愛会、白鳩会、青年会の代表者が食事をする機会がありました。
ちょうど谷口雅宣先生が「大東亜戦争侵略論」を言い出した頃で教団内が揺れていた時期でした。
その場で年配の方が谷口雅宣先生について質問をされました。
すると、その先達は、
「この話は今まで誰にもした事がなかったのだが」
と断りを入れて話し始めました。その先達が、谷口清超先生と河田亮太郎先生を交えて話し合い
をしていた時に、谷口清超先生が、河田先生に、
「実は、息子が自分のいう事に全く従わないので、たいへん困っている。私がいくら言っても
聞かないから、申し訳ないが、河田先生、あなたから息子に言ってくれないだろうか。」
と憔悴した表情で頼んでおられたので、その場にいた先達も驚いた、という内容でした。
もちろん、その場にいた全員が驚きました。
その先達はすでに故人になり、その場にいた人間で存命なのは青年会の私だけです。
その後のことは知りませんが、この話しから類推するに、谷口清超先生は必ずしも
谷口雅宣先生のご方針に賛成をされていなかったという印象を持っています。
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