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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

3107トキ ◆UMw6UoGELo:2016/07/09(土) 19:49:39 ID:KvKJxP4.
>>3106

 中心帰一という理論は、現在の教団にとっては極めて都合の良い概念ですから、簡単には
放棄しないでしょう。もちろん、彼らが「民主主義」「立憲体制」の概念を本気で大事に思って
いるのなら放棄するか、運用を改めるはずですが、どうもその可能性は薄いみたいです。

 しかし、この中心帰一という概念は、私が谷口雅春先生の直弟子の講師から聞いた時には
「真理への帰依」という意味でした。現在のような総裁のいうことなら何でも服従するとい
う発想は、「支那式服従」とされ、戒められていました。あくまでも、総裁や副総裁が「真理」
を説かれた時に、そのご指導に従うという意味でした。

 この発想は、戦後の民主主義教育を受けた私にも納得できる内容です。つまり、戦前、
谷口雅春先生が説かれた時代の「中心帰一」論は、常識的で、かつ真摯な内容だったと
言えます。

 ところが、私が青年会時代には、すでに「総裁、副総裁が理想の姿だから、青年会の諸君
は総裁先生、副総裁先生の言われる事を手本に、努力しなければならない。」と教団の偉い
人が青年会の会員に指導をするに至りました。

 まだ、当時は、いわゆる「青年協議会」の問題が尾を引いていたので、こういう極端な
中心帰一論も仕方がないのかな、と考えていました。しかし、段々と弊害が目立ち、つい
には今回のような暴挙を総裁がするのを見ると、問題は深刻であると感じます。

 さて、総裁や教団側は、この都合のよい中心帰一論を簡単に放棄しないのは当然ですが
信徒の側はそれを守る必要はあるのでしょうか?

 もともと、中心帰一とか法灯継承という発想は仏教の概念ですが、仏教のトップクラス
の専門家に尋ねても、このような無条件で無制限の権力の行使を宗教指導者に認めるとい
う発想は皆無です。加えて、谷口雅春先生のお考えでもないわけです。

 すると、いつできたか不明ですが、谷口雅春先生以後の教団指導部の誰かがでっちあげ
たものですから、信徒はこれに拘束されるいわれはないことになります。

 信徒の側は真理には従う義務はあるし、教団の方針にも社会通念上正しいとか、自分が
納得した方針には従えばいいです。しかし、今回のような暴挙には抗議をする権利があり
ます。

 つまり、信徒の側こそ、中心帰一論を放棄するべきだと思います。


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