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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

310初心者:2012/07/20(金) 09:39:45 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

>初心者さまの指摘されることは、ある面でとても真実ですが、
雅春先生の教えの信仰の世界の部分は、認めておられないのでしょうか。
・・まあ、生長の家の現状の姿を、ご指摘なのだと思うのですが。

さくらちゃんがこれまで語ってこられことが何ひとつとして取り上げられもせず、
論じられもしないということが、すでに組織の病理を証明しています。

「月を見よ」と指さしたとしても、子供は月を見ずに指先を見ると言いますね。これ
とおなじことが起きています。雅春先生の語られた言葉が絶対化されていますね。
雅春先生はこのように言われた。こうした表現が幅を効かせていることからもわか
るように、雅春先生の言葉が絶対化されています。

かねてよりこちらで主張しておりますように、言葉に意味はありません。言葉とは、
いってみれば、月を見よと指し示す指先のようなものです。指先と月は、ほんらい
まったく関係がないものです。

言葉と真理のあいだに関係はまったくありません。言葉は真理を語っていません。
ただ「あれを見よ」と、真理のある方向を指し示そうとしているだけです。その方向
にほんとうに真理があるのかどうか、それはわかりませんが、少なくとも言葉じた
いに意味がないのはたしかです。

言葉に意味があると履き違えたところで、教義の絶対化が引き起こされ、意味の
不在を埋めるために信仰はイデオロギー化していきます。

>教えが言葉で表現されていることから、言葉で理解しなければならないという、
どうしても、その表現される「ことば」に支配を受けざるを得ない側面を、仰っているのだと思います。
だから、ことばに過剰に反応する、或いは、真理と称する言葉の乱用によって、
人の感情や欲求があまりに支配されることがある、ということを、
危惧されてのご指摘だと理解していますが、違いますでしょうか。

わたしが言いたいことをわかりやすく語ってくださってます。真理は汝を自由なら
しめん、といわれていますが、真理と言葉を履き違えたために、言葉にしばられると
いう現象が起きています。雅春先生が語られた言葉以外の言葉には耳をかさない。
こうした現象が起きています。

すべての問題は、言葉は見つめるべき方向を指し示しているにすぎないのに、言葉
こそが真理だと思い込むことによって引き起こされています。真理の不在を埋め
るためのシニフィアンの暴走がつづいています。

「実相円満完全」といってみたところで、この言葉に意味はありません。この言葉は
「べつの何か」を指し示そうとしています。その「べつの何か」がわからなければ、
言葉を絶対化し、暴走させるよりほかはありません。


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