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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

307さくら:2012/07/20(金) 08:21:23 ID:vxm3Yqkc
初心者さま

宇宙論をお話ししている中で割り込んですみません。

「失望」したと、わたしが表現したのは、「期待をしなくなった」、程の意味です。
・・初心者さまが「失望コンビ」の一員などと、また誤解されたら、
再びご迷惑をおかけして、たいへん申し訳ありませんでした、笑(笑ってません、)

信仰を、なにか外の、・・組織のようなものに求めたことが愚かだったということがよく理解できたので、わたし個人ではよい勉強になりました。

わたしの中の、信仰の想いは、むしろ、組織を離れたことで安定し、
組織の方針に振り回されない分、自分の信仰の良心に自由な行動できますし、
信仰の喜びは、変わらずふつふつとわたしの中で生きています。
わたしの内なる世界は、今も変わらず、生かされている大安心の境地です。

信仰の大安心の境地と、現状に対して問題意識を見つけて取り組むという想いは、
わたしは、矛盾したことだとは思っていません。

初心者さまは、言語学的な立場から、雅春先生の思想が、二項対立的なロゴスで語られていると、分析されておられるのですね。
雅春先生の思想が、二項対立のロゴスに依存することで語られているとしたら、
それが、ソシュールの言語学的な見地からしたら、その正当性が保証されなくなる、
と考えておられるということだと思います。

教えが言葉で表現されていることから、言葉で理解しなければならないという、
どうしても、その表現される「ことば」に支配を受けざるを得ない側面を、仰っているのだと思います。
だから、ことばに過剰に反応する、或いは、真理と称する言葉の乱用によって、
人の感情や欲求があまりに支配されることがある、ということを、
危惧されてのご指摘だと理解していますが、違いますでしょうか。

>迷える人々に心に響く文字を供給しつづけるのは宗教の仕事だ。それは麻薬に
依存し欲する人々に麻薬を供給し続けることに似ている。心に響く文字をあたえら
れた人々は、狂喜乱舞し、文字に群がりはじめる。やがて効果は薄れるが、文字の
供給が途絶えることはない。文字には依存性があり、それがゆえに文字がパルマ
コンであることを宗教は熟知しているからだ。

宗教に於いてことばやイメージなど宗教的象徴が、パルマコンとして人の感情に訴えて、扇動することに使われることがあります。

ですから、言葉に反応して、「真の教え」「邪説」と判断することを、
わたしは、宗教の危険な兆候の一つであると思っています。
クリシュナムルティも、この宗教の「麻薬」的要素としての、言葉やイメージの乱用や常習性を指摘していましたので、初心者さまもこのことを指しておられるのだと思います。


でも、わたしにとっては、これを越える世界が、信仰の世界、だと思っています。
信仰は、なにか外に対象があって、それを絶対のものだと信じる、ということでもなく、
その信じる外の対象の正しさを証明するため、外へ外へ向かうものでもなく、
内へ内へ、向かうものだとかんじます。
そして、言葉の性質を越えて、行や、愛の行動になっていくものだと思っています。

真理の言葉も、人を説得させたり、人を裁いたりするためではなく、
自分を振り返り、自分の行動の糧にしたり、人を生かすときに心に届くものだと、
思います。

初心者さまの指摘されることは、ある面でとても真実ですが、
雅春先生の教えの信仰の世界の部分は、認めておられないのでしょうか。

・・まあ、生長の家の現状の姿を、ご指摘なのだと思うのですが。


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