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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
3028
:
曳馬野
:2015/10/12(月) 13:29:40 ID:xov3Klaw
>>「すべては心の影」とは実際のところ何をいっているのでしょうか。三界は唯心の所現ということでしょうか<< への答えです
「自分」が無い「他人」もない、ただ神の生命が生きているのだ、たった一つの生命が生きているのだ______これをハッキリと説いているのが生長の家でございます。これをハッキリさせて置きまして、さて『三界唯心所現』という生長の家の横の真理をあらわす言葉に接するとき言葉が恐ろしい力を以て私たちに迫ってまいります。あれは決して、なんでも利己主義の事が心の思う通りになってくる、というような薄っぺらなものではない。あの唯心の「心」というのは素晴らしく大きなものなのです。
人間神の子、唯一つの神の生命が生きているだけであるとの生長の家の縦の真理と『三界は唯心の所現』という横の真理とはこれは切って離せないものであります。縦とか横とか云いますけれど、これは説明の便宜であって真理は二つ無い。三界唯心所現という真理と人間神の子という真理と二つのものでございません。裏から見たら三界唯心所現、表から見たら人間神の子であると思わして戴いたら宜しゅうございましょう。さうすると本当に此処にたった一つの神の生命が生きているのだ、ただ生命が生きているだけである。
その生命が今此処に生きているのだと知ったならば、三界唯心所現と云ってをった、その唯心の心は、決して個人の「念」と云う様なちっぽけなものではない。此処に如来蔵の心、自分の神性の心、たった一つきり生きていないその心、それが此処にあり、ここに一切を現わしている。この如来蔵の心が三界唯心所現としてこの現実世界を動かしてゆく力であるとなった時に、本当に自分の関する事一切、自分の見る限りの世界のこと一切が、皆私の責任だという気持ちが湧いてまいります。
皆私の責任だ本当に自分が到らないからこうなっているのだ、申し訳がないと云えるのであります。まことに心の眼を開いてみれば、本当に此の世界にはたった一つの生命が生きているのであって、これが本当に判ったならば、みんな自分の責任だと判る。決して相手に責任を持って参るような気持にはならないのです。相手に責任を持って行きまして自己弁解するやうになりましたら、自分の生命の本当の喜びの根が止まってしまいます。 常楽への道より
この事が本当に理解されましたらすべての問題は無くなると私は思います。
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