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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

3009a hope:2015/10/11(日) 11:06:24 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p209 後から5行目〜

霧の深い深い晩、ガス燈が一つ灯っています。

ガス燈の周囲を見ると、ぼーっと明るい光の輪ができている――。

それは一つのガス燈から発する無数の光線を、霧がその濃度に従って現わしたものであります。

その光の輪が霊体にあたり、霧は念、そして、中心の光がすなわち本当の自分、久遠生きとおしの生命のあたるわけであります。

光の暈(くま)は、霧の濃度によって常に変化を起こしているものですから常住不滅のものではない、しかしいくら暈が変わろうと中心である光は、いつも変わらずに照り輝いているのです。

要するに体というのは肉体にせよ、霊体にせよ、霧に反映している光の周囲の輪と同じようなもので、念の波によって常に変化を起こしている常住のものではないのであります。

光の暈は常に変化はするけれども、そこに霧がある限り光の周囲には必ず暈ができている、と同じように念の存続する限り個性の体(霊体肉体を含む)の存続もあるわけで、ただそれは常に変化し、変化する都度洗練(リファイン)されてゆくので、リファインされつつ存続しているうちに、追々透明な念に進化していって、まったく透明になった時に中心の光をそのまま映しだすことができるようになる。

その時こそ実相そのままの自分がここに顕現することになるのであります。

『生命の實相』 (頭注版) 第二十一巻 <完>


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