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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

3005a hope:2015/10/11(日) 10:12:14 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p202 6行目〜

キリストも大変念力が強かったらしい。

ある時キリストが道を歩いている時に、大変喉が渇いてきた。

その時道の傍(そば)に無花果(いちじく)の樹のあるのを見た。

あれにはさぞかしたくさんの果(み)がなっているだろうというので、それで咽喉をうるおそうと、樹の側へ行ってみたところ果は一つもなっていなかった。

それでキリストは無花果の樹に対して「今後永久に果を生ずることを得ざれ」と言った。

ところが、その無花果の樹はたちどころに枯れた、ということが聖書に書いてあります。

キリストのような大聖人でも時にはこういう憎む気持ちを起こしたこともあるらしい。

これにはいろいろ後世議論があって、あるいは、たんにキリストは念の力の恐ろしさを目撃せしめて、弟子をいましめられたのかもしれない。

ともかく念の力で無花果を枯らしてしまったというのですから、キリストの念の力もよほど強かったものとみえます。

念の力、言葉の力は、こう考えてゆくとなかなか恐ろしいもので、互に慎まなければならないと思わされるのであります。


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