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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
2982
:
a hope
:2015/10/10(土) 22:23:51 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第21巻 p194
いったい宗教の目的は何にあるかと言えば業を破壊するということにあるのです。
業を破壊し、因縁を超越し、業に支配されない自由な世界に人間を解放することこそ宗教の救いの意義があるのであります。
業障(ごうしょう)の中に沈淪しているからこそ、業の現われる病気が起こるのですから、宗教に入っても病気が治らないのは業がまだ摧破(さいは)せられない証拠であって、その人の信仰、または宗教が本当に正しい真理を摑んでいないということになるのです。
もしも真に真理を摑んでいたならばただちに業が打破され、業の現われなる病気は消滅しなければならない。
ですから、業力を打破する宗教であるならば、病気が治るなどということはむしろあたりまえのことなのであります。
病気が治せないというのはとりも直さず業を打破しえないということでありますから、宗教家として自慢しうる話ではないのであります。
宗教家がいくら哲学的な宗教講義を並べたてても、一個の業障(ごうしょう)を打破しえないようなことではそれは学問ではあるかもしれない、宗教哲学ではあるかもしれないけれども、われらを救う生きた宗教にはならないのです。
生きた宗教は業を直接的に破壊できる、そしてその証拠として実生活の上に業障が消滅し現実世界が光明化しいっさいの不幸苦悩が消し去られるのであります。
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