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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

2966a hope:2015/10/10(土) 00:22:41 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p187 

「真の人間」は実相そのものであって、輪廻転生して生まれ変わったり、病にかかったり、罪を犯したりするのは偽物の人間である。

それですから『生命の實相』の中には「実在」という言葉に対して偽存在と書いて「ニセモノの人間」とふりかなをつけたりしてあるのであります。

われわれの「真性」は神そのままの姿であって、永遠不壊のものであります。

滅ぶるものは「真の人間」ではないのです。

罪を犯すものは「真の人間」ではないのです。

病にかかるものは「真の人間」」ではないのです。

それはことごとくニセ物の仮現としての人間にすぎない。

だから「地上の人間よ、われ汝らに告ぐ、汝ら自身の本性を自覚せよ。汝ら自身は『真性の人間』にして、そのほかの如何なるものにも非ず」とあるのであります。


ここが非常に大切なところであります。

ここには「我」の置き換えということが書いてあるのであるのです。

「ニセ物の我」を「本物の我」に置き換える。

これは仏教で言えば本願に廻向(えこう)することである。

キリスト教で言えば、「悔い改める」ということである。

『生命の實相』全集中の「倫理篇」(豪華版では〈七巻〉、頭注版では〈十三・十四巻〉)にこのことはくわしく書いてありますから繰り返して見て下さい。

「我」の置き換えということは、今までわれわれはこの肉体を自分だ自分だと思っていた。

ところが「こんなものは本当のお前ではないんだぞ、なんじら自身は、神である、実相そのものだ。肉体をさしてなんじと言っているのではない。なんじら自身は、智慧なる、愛なる、霊なる人間であって、肉体人間は汝自身では決してないのだ。お前たちがあると思っていたその肉体は無いものだ。それは念の蓄積にすぎない、業の固まりにすぎない。業のバイブレーションがちょっとかげを映しているので、それはちょうど青空を一時蔽(おおう)う雲が、時が来れば消えるように滅び失せてしまうものだ。ところがお前自身、お前そのものは滅びなき智慧、久遠生きとおしの実在なのだ。それが汝自身である、その他の何者でもないんだぞ」と知らせる、これが「吾を置き換え」しめることであります。


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