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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
2905
:
トキ
:2014/12/18(木) 19:27:37 ID:W358PcAI
父は府庁に勤める公務員だったが、生活は貧しかった。後に知ることになったが、父は終戦後
の昭和24年頃、友人の連帯保証人となり金30万円の債務を負ったようだ。豚を飼う事業資金
のための借り入れと騙され、府庁に在籍する父に信用があるばかりに、保証人になることを求め
られたのだ。当時の公務員の給料は数十円の時代である。30万円は気の狂う数字だった。衝撃
のあまり、父は逃げた債権者を呪い、挙句の果てに結核になり、喀血した。一家心中を考え、そ
の日府庁を後にした。
そのときだろうか。新聞広告にある「生命の実相」(日本教文社)が目に止まったのは。
「人間は神の子である」「人間には内在の仏性がある」「病はない」。父は貪るように読んだ。
「三界は唯心の所現」である。人間の病気も不幸すらも、すべて心(想念)が創り出すと書かれて
あった。
生死の畏れの中で、父は「一生かかっても債務を完全に返済しよう」と決心した。ここに父の
基礎がある。今なら弁護士事務所に駆け込んで破産するほうが手っ取り早いのに。
約20年かかって完済した。その過程で信用が信用を生み、知事から堺港建造を、また後には
千里ニュータウン建造の陣頭指揮を任された。
信仰とは不可思議なものである。まず信仰は生死畏中においては、人に生きる勇気を与える。
死病と言われた病をも克服し、「念仏者は無礙の一道」なり(親鸞の歎異抄)の生活がはじ
まった。
「弁護活動を通して見た 人生の光と影」 芳 維黙(芳邨 一弘弁護士)著、駿台曜曜社 168p
より抜粋
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