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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

2876愛と追憶の日々:2014/11/11(火) 20:08:58 ID:DvLoxxK2
      天国から来た犬

 私は犬があまり好きではなかった。だから母と妹が、犬を飼うと言い出した時、私は猛反対した。
今から十年ほど前のことである。犬の世話は大変だということを知っていたし、不潔な感じがするので嫌だった。
でも何日か経って、私の留守の間に、母がよそから子犬をもらってきてしまった。

 私は、犬の世話はしないからと、少し意地悪なことを言って、しぶしぶ承知した。
父は単身赴任をしていたので、電話で事後報告しただけだった。その犬の名前はムックという。ムックはとても人なつっこく、甘えん坊だった。
茶毛で三角の耳がピンと立ち、目もまるくて、まあまあかわいい犬である。私は時々、母が作ったエサを運ぶくらいのことしかしなかった。
やはり好きにはなれない。言うことを聞かない時など、叩いたりもした。それでもムックは、私を見るとしっぽを振って、遊んでくれとせがむのだった。
それから五年経って、私は結婚し、実家から車で一時間ほどの団地に住んでいた。

 三月下旬のある夕方、私は一人でテレビを見ていた。そこへ電話が鳴った。
「お母さんが仕事場で倒れちゃった」妹の低い声が受話器から流れてきた。親の救急車で運ばれる姿など、急には想像できるものではなく、私はまるで他人事のように落ち着いていた。
翌朝、急いで病院に行くと、大部屋に寝かされた母がいた。検査の結果、くも膜下出血ということがわかり、国立病院に転院して、手術を受けた。
そして、手術は無事成功し、幸い後遺症もなく回復に向かった。

 母が入院している間、私は実家と病院に毎日通った。実家にはムックがいる。動物を飼っていると、一日でも家をあけられない。妹は別の病院で看護婦をしているし、父は単身赴任ということで、
母の付き添いや、家事は私がやるしかない。ムックは母がいないせいか、ますます人恋しいようで、私が行くと、とても喜んだ。
 ある晩、帰ってきていた父が、「ムックを保健所へやることにする」と、目を伏せたまま言った。「どうして。ムックは家族と同じなのに」
母の代りに世話をしているうちに、私にとっても、ムックはかわいい家族の一員になっていたのである。

 勿論、父も動物好きだがら、よくよく考えての発言だと思う。しかし、突然の事で胸が張り裂けそうだった。保健所へやるということは、つまり死を意味している。
私は子供のように取り乱した。実は私も悩んでいたいたのである。母が退院しても、ムックの散歩など、今までのようには出来ないだろう。
それに、母が倒れたのは過労が原因だった。フルタイムでパートに出て、家事をこなし、犬の世話もほとんど一人でやっていた。ムックの世話は重労働だったにちがいない。
朝四時頃から、クゥン、クゥンとないては散歩をせがんだ。戸を一枚隔てて、枕の向こうにムックがいるので、母はいつも寝不足だった。叱っておさまるわけでもなく、仕方なしに朝五時頃、散歩に出かける日もあった。

 しつけが悪いのだと言われたらそれまでだが、そんな状態が五、六年続いたのである。具合が悪くなるのは当然であった。
私は、母の大変さに気付きながらも、手助けしてこなかった。心から後悔している。そして、何としてもムックの新しい飼い主を探そうと決心した。庭に出て、いつもよりやさしくムックを呼んだ。私はムックの目を見ると、涙が止まらなくなってしまった。
「絶対に死なせないからね」私はムックの頭を撫でながら言った。すると、ムックは少し困ったような顔をそて、私の涙を一生懸命なめてくれた。
私は何も知らずにいる、この優しい犬がいとしくてならなかった。


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