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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
2872
:
愛と追憶の日々
:2014/10/26(日) 10:28:45 ID:7h7iVYm2
自分の雑誌『生長の家』を発刊する以前、谷口がすでに各種の個人雑誌に文章を寄稿していたことは
前述の通りであるが、『生長の家』創刊の前夜ともいうべき大正十五年に、彼が、鳥谷部陽太郎の個人雑誌『新時代』
大正十五年三月号に載せた一文を、後ほど九州の一信者が「生長の家」本部に報告しているので見てみたい。
その題は「人類の偉大なる生長を希い」という一文である。
「偉大なる進歩を遂げようと思う者は、偉大なる心を有たなければならない。心狭き者は偉大なる進歩を遂げる事は出来ない。
彼は心を広くゆたかに有たねばならない。彼は神の如き心を有たねばならない。
彼は太陽の如くあらゆるものにおおらかな心をもって光を投げかけねばならない。太陽の心に呪詛はない。太陽は光を受けとるものにも、
光を受取らない者にも無差別に照らすのである。・・・呪詛は呪詛を招き、祝福は祝福を呼ぶ。吾等は万人を祝福しなければならない。・・・
人は丑の刻詣りをして他の人の運命を傷つけようと思うようなことは滅多にないであろう。
しかし眼には見えない呪い釘が其の人の脳髄から放射して誰かの心臓を一つすら突刺していない人は殆ど無いであろう。呪詛の最も陥りやすき形式は、
『ケチをつける』心である。『ケチをつける心』にあるものは大なる運命から祝福されない・・・・」
わが国には、決して天理教でいう陽気ぐらしのあかるい面だけではなく、この谷口の文に見られるように、陰湿な呪いの世界もあった。丑刻参りの元型は京都の貴船に
参籠して鬼神にならんことを祈った橘姫の伝説にはじまるといわれるが、柳田国男のいう怨念余執のわだかまっている世界でもある。
こうした暗い面に目をつむって、せめて心の持ちようでも明るくしてゆこうという気持ちの鼓吹こそ近世近代の日本の新宗教の大きな特質であろう。
『谷口雅春とその時代』 小野泰博 著
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