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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

2866愛と追憶の日々:2014/10/21(火) 20:42:38 ID:H.YAzWB.
     うちの娘です

 私は昨年の六月、五年の交際期間を経たのち、高校時代の同級生である彼と結婚しました。
結婚が恋愛と異なる点を一つ挙げるとすれば、恋愛が今ある互いと向き合うことで成り立つのに対し、
結婚には、お互いの家族や育った環境、その歴史と向い合わなければならない瞬間が必ずあるということです。
そうした瞬間に、私達は想像をはるかに超える大きなエネルギーを費やすものですが、それはまた、恋愛では知ることの
できない思いがけない幸せに巡り合える瞬間かもしれないのです。

 彼と私は趣味も性格もまるで違っているのですが、不思議なことに「生き方」の点においてはどこか似通ったものがあったため、お互い認め合える
間柄のように思います。結婚についての考え方もその一つでした。出会うまでに過してきたそれぞれの時間を大切にしながらも、同時に二人で新しい生活のかたちを
見つけ出していくことが結婚であり、できる限り自分達の意志と責任を持って出発したかったのです。言い換えるなら、二人にとって意味をなさない結婚の常識は潔く切り捨て、
手の届く範囲を探りながらの出発でした。

 ですから多少の困難は当然覚悟していたのですが、それでもとりわけスムーズに今日に至れたのも、実は互いの両親に深い理解があったからだということを忘れるわけにはいきません。
中でも彼のお母さんは、最初からずっと私達を信頼し、力を貸して下さったのです。
 彼のお母さんに初めてお会いしたのは、暮も押し迫る一昨年十二月のことでした。
故郷松本に帰省した際、駅前にある小さなおそば屋さんで最初の挨拶をかわしました。

 束の間の対面は、緊張感も手伝ってあっという間に過ぎて行ったのですが、初めて拝見するお母さんと私はたとえようのない
安心感と幸福感を覚えました。それから結婚するまでの半年間で、彼のお母さんと私は急速に交流を深めることになるのです。
六ヶ月もの準備期間がありながら、また結婚によって自分の人生が一八〇度変ってしまうはずもないと知っていた私なのですが、
それでも戸惑い悩むことは少なくありませんでした。二十七年間慣れ親しんできた姓を失うこと、故郷に残る両親のこと、これから
始まる家事と仕事の両立、六月が近づくにつれ、心は時に不安と戦わざるを得ませんでした。

 そんな時、私の気持ちをそっと察してさりげなくお手紙で励ました下さったのは彼のお母さんでした。
一通一通に並べられた言葉の数々からは、控え目だけれど凛とした、お母さんらしい優しさが溢れ、いつの時も今何が一番大切なのかを
教えて下さったように思います。

 彼のお母さんは、かつて教師をされていたのですが、今では地域の目の不自由なお年寄のために、新聞や小説、詩などのあらゆる活字を朗読する
ボランティア活動に参加されたり、執筆にも励まれるなど、お忙しい毎日を過されています。
その一方では家庭菜園で野菜作りを楽しまれ、言葉通り精魂込めて育てた立派なにんじん、じゃがいも、トマトやきゅうり、とうもろこしや枝豆など季節の野菜を、
風流なお手紙とともに私達二人のささやかな食卓に、何度となく運んで下さるのです。


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