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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
2865
:
シャンソン
:2014/10/15(水) 19:16:58 ID:AfyyPXR.
日本人の宗教アレルギーの遠因
森) 今の日本人の多くは特定の信仰を持っていませんね。戦後の日本社会は、宗教という
要素を欠落させていた、というか結果的には軽視してしまった。ある意味で当然です。
明治期に廃仏稀釈があり、戦争期には多くの宗教が国家にすり寄り、そして戦争が終われば国家神道は
解体されて、現人神だった天皇が人間宣言をする。宗教観がずたずたです。
地下鉄サリン事件も宗教へのアレルギーを喚起する大きな要素になりました。
でも本当は、宗教という要素を抜きには、死刑制度は語れない。戦争も経済も社会も。
だから日本には哲学がないとよく言われる。
A)外国に行って、お前の信仰は何かと訊かれて、普通の日本人は「何もない」と答えると、本当に驚かれたという
話を聞いたことがある。
司会) ほとんどの国では宗教はあって当たり前なので、無宗教であること自体が一つの思想なんですね。
だから迂闊に「無宗教」などと言うと、逆に「危険な人」と思われるそうです。
E) いわゆる「宗教」に入っている人たちの信仰心と、オウム真理教にはまった人たちのそれとが同じなのか、
あるいは違うのか。そこを整理しないと、戦後の宗教って理解できないような気がする。
カルトにのめり込む心情と、宗教心は別なのかどうなのか。
森) そういえば、宗教と信仰って違うのかな?「あなたは信仰を持っていますか?」とは訊くけど、
「宗教を持っていますか?」とは訊かないのかな。いや、訊くこともあるか。
A) あくまでイメージですけど、「信仰を持つ」というのは、より個人的な感じがします。
たとえば欧米などに行くと、日常生活に「信仰」が溢れていますよね。だから、ある宗教に属さなくとも、
「神を信じている」とは言える。日本は八百万の神とか言われるけど、信仰というもの自体を生活から排除してきたから、
「神を信じる」という感覚がない。だからこそ、「宗教」という団体や組織に入ること自体が、奇異な目で見られるのでしょうね。
宗教というのは、どちらかというと宗教性や組織性を感じますから。
森) ああ、そういうことか。厳密に違いがあるかどうかはわからないけど、そういうニュアンスはあるのかな。
E)そこから言うと、個人的な信仰の話と、組織としての宗教とは違っているのでしょう。
社会的な影響力も違ってくる。
森) 同時に、個人にフィードバックする影響力も違うでしょうね。組織に帰属するということは、
これは宗教だけに限らず、」会社でも学校でも、組織共同体には必ず同調圧力がある。しかも、それは一方的な強制だけではない。
組織に帰属する側からも、みんなと同じ動きをしたいという願望が出てくる。人間というものは往々にしてそういうものだし、
そこで大きな間違いが起きることもある。当り前のことだけど、一人よりはたくさん集まったほうが力は強くなります。
だから社会的な影響力が大きくなる。そしてその力は外側だけではなく、組織に帰属する人にもフィードバックします。
個人の間違いはある意味でたかが知れているけれど、組織の間違いは当然ながら規模が大きい。
個人の主語は一人称単数だけど、組織に帰属すると主語が大きくなる。「われわれ」とか「うちの会社」とか
「わが国は」とか「わが教団は」とか。主語が大きくなれば、述語も勇ましくなる。個人ではためらうようなこともやって
しまう。これは宗教も同じ。教義というのは概念だから、その要素はもっと強いでしょう。
オウム真理教の失敗は、まさに組織になったがための過ちです。最初はアットホームなヨガを学ぶ集団だった。
初期のころの麻原は、メンバーに対して敬語を使っていたそうです。
D)へー、それは意外ですね。なぜなんだろう?
森)麻原は出家していないから。よく、麻原のことを「教祖のくせに妻帯して愛人までいて肉も食べていた」と
批判する人がいるけれど、理屈としては、麻原は在家だから構わないんです。
D)でも、さすがに愛人はダメだと思いますけど。
森 宗教者としてはダメですね。まあ、でも妻帯や肉食については、理屈としては問題ない。
妻や子を捨てられないから自分は出家できないとの意識もあったようです。
だから出家した人たちのほうが自分より上です、というスタンスで付き合っていたと、
当時の幹部信者に聞きました。それが、だんだん変わっていく。組織が大きくなればなるほど、麻原の絶対性が肥大し、
ヒエラルキーが強化された。その頃から「尊師」との称号が定着した。
C) 最初からじゃなかったんだ。
森) ヨガ集団のころは「先生」と呼ばれていたらしい。少なくとも「尊師」よりは健全です。
『アは「愛国」のア』 森達也 著
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