[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
2661
:
トキ
:2014/06/18(水) 10:48:06 ID:cz/HhVsI
古い信徒さん、特に戦前や終戦後の生長の家を知る信徒さんと話すと、必ず言われるのが、
「生長の家の体質がまるっきり変わってしまった。」という声です。
「昔は、生長の家の信徒を”家族”と言ったが、その言葉通り、信徒同志が家族のような関係
だった。だから、信徒同志で思いやりもあったし、また、発言も本音を言い合った。」という
ことでした。
例えば、谷口雅春先生に対しても、尊敬の念は深かったものの、盲目的に崇拝するという
姿勢ではなくて、愛情と信頼の対象という感じだったみたいです。ある人が、谷口雅春先生
の直弟子の先生に、
「私は谷口雅春先生みたいになりたいのです。」
と発言すると、その直弟子の先生が、
「菊には菊の美しさがあり、桜には桜の美しさがある。あなたにはあなたの美しさがある
のだから、人まねはやめなさい。」
と言われた事がありました。
これが、平成になると、事情が変わります。
私が青年会時代、ブロックの研修会に出席すると、当時の青年会の会長さんが、
「私達は谷口雅宣先生という素晴らしい指導者を戴いています。青年諸君は、谷口雅宣先生、
谷口純子先生を手本として、お二人に近づくように人格や信仰を陶冶してください。」
と熱心に指導をされており、申し訳ありませんが、違和感を感じた事を記憶しております。
余談ですが、このとき、一緒に聞いていた他の教区の幹部に、今、総裁万歳で有名な人がい
たはずです。おそらく、このときのご指導を真に受けたのでしょう。
(つづく)
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板