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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

2524愛と追憶の日々:2014/05/15(木) 14:32:20 ID:swcvPRsc
    
  西南戦争に加わった豊前中津隊の隊長である増田宋太郎は、敗戦の色が濃くなったのを見て、
生き残った仲間たちに対して、「薩軍とともに鹿児島で死ぬのは自分と首謀者である数人で十分だ。
おまえたちは故郷の中津へ帰れ」と命じます。

 それを聞いた全員が、なぜ、増田までもが薩軍と運命を共にしなければならないのか不思議に思い、問いただしました。
それに対して増田が言った言葉が、文語体で中津の人々に記憶されています。
「吾、此処に来り、始めて親しく西郷先生に接することを得たり。一日先生に接すれば一日の愛生ず。
三日先生に接すれば三日の愛生ず。親愛日に加はり、去るべくもあらず。今は、善も悪も死生を共にせんのみ」(『翔ぶが如く』司馬遼太郎、文春文庫)

 つまり増田は、中津隊の中でも、隊長として薩軍本部に行って、西郷と接する機会が多かった。西郷に一日接すれば一日の愛が生じ、三日接すれば三日の愛が生じる。
そして西郷に対しての親愛の気持ちはもう、離れ難い存在になってしまったのです。

 この西郷隆盛の不思議な魅力の源泉は、まわりに対する感謝の量が非常に多かったからだと思います。
西郷はだれに対しても偉ぶらず、対等に接しました。さらに感激屋だったこともあり、涙を流しながら感謝するといったエピソードも数多く残っています。
 そして「敬天愛人」という言葉からもそれはうかがえます。「天を敬い、人を愛する」という意味のこの言葉には、西郷の自己修養のための指針と天命への自覚、
そして他者への感謝の思いが込められているのです。

 他人に感謝すると、また感謝したくなることが起こります。
物を感謝して使うと長持ちし、役に立ってくれます。場所に感謝していると運気が良くなり、しあわせをはこんでくれます。
そして、その感謝の量はそのまま、あなたの不思議な魅力となるのです。

 『全感謝する練習』 喜楽 著


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