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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

2206愛と追憶の日々:2014/02/13(木) 17:34:53 ID:/PMYWv0w
    まんじゅうを学びに日本へ行け

 これも2007年のことだと思う。日本に行ったスティーブは、東京・赤坂の老舗和菓子店「青野」の
まんじゅうをいたく気に入って帰ってきた。カウンターで興奮気味に話し、わざわざ後から店の住所などを書いた電子メールを
送ってきたぐらいだ。一度、「いい」と気に入ると、恐ろしいほどの執着心を見せるのもスティーブの特徴だ。

 スティーブはまんじゅうにも一家言あった。
桂月では会席料理のデザートとしてまんじゅうを用意していたことがあり、いつも寿司を食べるスティーブにもこれを出していた。
初めのころは「皮が少し硬い」とか「あんが、いまひとつ」などよく文句を言っており、こちらも改善を重ねていった。
そんなある日、カウンター席に座ったスティーブは「だんだんとよくなっているが、青野にはまだ及ばない」と言う。
そして直後に突然、いいアイデアを思いついたとばかりに「費用は全額負担するから、板前をひとり修業に出したらいい」と言い出したのだ。

 同席していた上級副社長のジョナサンも「それはいいアイデアだ!」などと言って盛り上がっていた。
「そんな簡単なわけはないでしょう」と言い返すと、「いや、大丈夫だ」とスティーブは強硬だ。店を切り盛りする私たちからすれば、貴重な戦力が
欠けてしまう事態は何としても避けなくてはならない。当の板前が行きたそうなそぶりを見せてやきもきさせられたが、この「計画」は最終的に実行に移されずに終わった。
もっとも、この後もスティーブのまんじゅう好きは変わらずだった。日本から知人がシリコンバレーに来るときに青野から買ってくるように頼んでおき、何度かスティーブにも
プレゼントしたり、店で出したりした。晩年、体調の悪いときは妹で作家のモナ・シンプソンを、まんじゅうを受け取るだけのために桂月に寄越したこともあったほどだ。

「まんじゅう騒動」は事なきを得たが、スティーブは別の形で実行力を見せた。この一件と相前後して、スティーブは自宅のパーソナルシェフに、和食の作り方を覚えさせたいと言い出したのだ。
このシェフはシリコンバレーから車で1時間半ほどの距離にあるバークレーの有名レストラン「シェパニーズ」出身だった。
 シェパニーズはカリフォルニア料理の元祖として知られる名店だ。カリフォルニア料理は米国料理を下敷きにしながらも、生魚を使ったり味付けに味噌を取り入れたりしており、無国籍料理の趣がある。
だがそうはいっても、カリフォルニア料理のシェフに和食を作れというのも無茶な話だと思った。ところが改めて話を聞くと、彼はいつもジョブズ邸で、スティーブのための和食と家族のためのメニューを2種類作っていると
いうのだ。もともと菜食主義だったスティーブは、本当に和食ばかりのようだった。
桂月はグルメガイド本「ザガット・サーベイ」の2007年版でベイエリアの6位に入って表彰を受け、記念の盾をいただいた。これを店に飾っておくと、スティーブが「それは何?」と尋ねたことがある。趣旨を説明し、「桂月は30点満点の28点をいただきましたが、
ベイエリアでは『ゲーリー・ダンコ』と『シェパニーズ』が29点だったんですよ」と話すと、「ゲーリー・ダンコって誰?」とスティーブ。サンフランシスコにある米国料理の有名レストランを知らないようだった。いわゆる有名店にはあまり興味がなく、(本当に和食ばかり食べているのかもしれないな)と
思ったものだ。

 ジョブズ邸のシェフはかつお節の削り方、かつお節や昆布を使っただしの取り方などを学んでいったのだ。
この訪問は3〜4回にわたり、お茶漬けやホウレンソウのごまあえなど、スティーブの好物レシピを駆け足で習得して帰っていった。かつお節削り機も持ち帰っていったから、ジョブズ邸でも本格的なかつおだしを取っていたのだろうか。それにしても本当に「修行」に寄越すとは.....。スティーブの「有言実行」ぶりを
示すエピソードといえるかもしれない。

『ジョブズの料理人』 寿司職人、スティーブ・ジョブズとシリコンバレーとの26年

 日経BP出版局 編


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