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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

2089志恩:2013/12/07(土) 11:15:04 ID:.QY5jUA6
つづき
1993 :復興G:2013/06/13(木) 22:37:50 ID:AB6RqYXc

<榎本恵吾先生著 『光のある内に』 より つづき>

 『生命の實相』常楽篇「久遠を流るるいのち」において尊師は次の如く述べられている。

 「衆生本来仏にして、仏は未だかつて迷わず」と断定してしまったのである。かくて「いっさいの人間は仏にして未だかつて迷いしことなし! 迷えると見える五官の我は本来無いのだ!」
 まことにも、釈迦が悟りを開いたとき「有情非情同時成仏、草木山川国土一切成道」と知ったのもそういう心境ではなかったかと、類推できるのである。
                                                                      (『生命の實相』頭注版第27巻175〜176頁)

 尊師の観られる衆生とは斯くの如きものである。このことをはずせば、最早や我々の運動は神より始った光明化の運動ということは出来なくなるのである。

 さて、「もし衆生が完全であれば、衆生を救済するための運動の必要はなくなる」と書いたが、しかし、完全であることは静止を意味するであろうか。静止ということは我々に一種の不満を感じさせずにはいない。
 不満を感じさせるものは、本来完全であることは出来ない。真の完全とは静にして動、一であって多であり、これらが同時に満足されるものでなければならない。

 ここに尊師のお説き下さった「生命の純粋持続」ということを想起しなければならない。これは生命(完全、実相)が自性を失わず、永遠に創造をつづけて行くことである。
 これは完全が完全し、光明が光明し、生命が生命するという世界である。ここに神は絶対者、完全者でありながら、今に至るもはたらき給うといわれる所以がある。
 この生命の消息がわれわれの光明化運動の意義であり、根拠である。論文『聖道へ』の中で、

 「完全なるもの」は完全であるがゆえに何も欠乏しない。何も欠乏しないから何も意欲しない。何も意欲しないから何もつくらない、つくらないからつくり主ではない。何か意欲するということは、完全でないしるしである。
 不完全で足りないから意欲するのである。意欲は欠乏の感じである。完全なるものは意欲しない。したがって「完全なるもの」(真如、神)は何も造らない。『大乗起信論』に「心性は常に無念なり」とは、
 この宇宙の本質であるところの精神(宇宙精神)の「完全」さを言い現わしたものであろう。
                                            (『聖道へ』271頁。『生命の實相』頭注版第20巻44〜45頁)

 こう言って「神は創造者でない」と否定して了われた尊師が、再び神を宇宙の創造者として認めるに至られたのは、実に「生命の純粋持続」としての神の創造を発見されたからではないか。
 我等も又、人類を斯くの如く観じ、運動の意義を斯く観ずることによって「生長の家人類光明化運動」を神の動く姿とし、神の永遠の創造の延長とすることが出来るのである。

 戦前版『生命の實相』信の巻(神道篇)に曰く――

 金剛不壊でありながら無限創造の働をする。無限創造と言ひますと、いくらでも造つて行くから今はまだ完成してゐないのだ、不完全な世界だとかういふ風に考へられる方もあるのであります。
 ところが決してさうではないのでありまして、無限創造といふことを音楽に喩へて考へて見ますとよくわかるのであります。音楽でも無論、下手な音楽と上手な音楽とがありますけれども、

 仮りに上手なピアノの曲の一小節だけを聴いて見るとしますと、そこに美しい響きといふものがあり、その暫くの継続だけでもそれが完全である、完全であるから美しく感ずるのでありますが、
 完全であるから次がないかといひますと、決してさうではないのであつて、完全であっても亦その次がある。無限に完全が常に続いて行つてをる、これが無限創造の世界なのであります。

             ○

 ですから實相の生活と言ふものは、『今』の瞬間が一瞬々々完成してゐるのであります。従って吾々が此の世に生きてゐる生活も今の一瞬々々に完成してゐない所の、例へば準備教育を受けて上の學校へ入学する為に
 『今』の生活を送ってゐると言ふやうな、手段としての生活をしてゐるやうなことでは妄(うそ)なのであります。今この瞬間無限を生きてゐる、完全な生活を生きてゐる、その完全の連続が常に自分の生活でなくてはならないのであります。

 斯う言ふ生活であつてこそ『朝(あした)に 道を聴かば夕(ゆうべ)に死すとも可なり』の生活だと 言ふことが出来るのである。
<つづく>


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